判断を迫られた時に、あなたはどのように決断をしていますか? (2017年5月)

我々は日々、もっと言えば瞬間々に判断を迫られ、決断の連続の中で生きていると以前書きました。

理事長になって決断することが大事だと再認識する機会が多くなりました。

改めて考えさせられるDan Gilbertの話を聞く機会がありました。

 

決断をするには:

経験、直感、好き嫌い、他人のアドバイス、権威の言葉、宗教、その場の空気、、、など色々な因子がありますが、組織を運営するとなるとやはり「損得」でしょうか。

ですから、簡単には(Σなど省いて書くと)

Expected Value(期待値)= Odds of Gain(確率) × Value of Gain(価値)

であるので、コイン投げゲームで表が出れば100円をもらえるゲームで、その参加費が30円ならば、期待値は100円×1/2=50円となり参加するが得であると想像できます。

 

しかし、人生はそれほど甘くなくてOddsとValueがそうは簡単に推定できていないのが現実です。

今日、後輩の皆さんに伝えたいことは、いとも容易に確率あるいは価値の判断が出来たと思って行っている決断が、しばしばいい加減であることがあるということです。

 

最初に確率の不確かさについて

我々は外国人による犯罪を心配しています。移民を忌避する気持ちの一因となっていると想像できます。

外国人の犯罪がなければ日本の刑務所はガラガラなどという都市伝説の背景には、外国人による犯罪がことさら大きく取り上げられることがあります。

このことが確率を思い浮かべる上でかなりの影響を与える結果となります。つまり判断が間違うことが起こることになります。

飛行機事故とかテロを気に掛ける理由は、出会ったら確実に死んでしまうこととそうでないことで差があるからという一面に加えて、飛行機事故やテロがあるとこれを大々的にニュースにするからで、交通事故で年間に4,000人以上も死んでいく人のことは、飛行機事故やテロ程にニュースに取り上げられません。また、自殺者が年間25,000人以上いて、そのうち貧困が原因の方が4,500人を超えているのですが、これもあなたの注目を引いたことはありますでしょうか?

 

このように確率は不当に評価されることが、普通に行われています。

 

また実際は確率が変わらないのに、確率が低くなったように感じてしまうことがあります。その例として:

宝くじが10枚あります。1枚100円。1枚が当たりで、これを引くと2,000円貰えるとすると、期待値は1/10×2000=200円ですから多くの人は買い!でしょうか。

しかし同様に、宝くじが10枚あり1枚100円、1枚が当たりで、これを引くと2,000円貰えるとしますが、もしもあなた以外の誰か、例えば私がまとめて9枚買っていたらあなたは先ほどより当たる見込みが低い、と感じて買わない可能性が高いのではないでしょうか。

 

次に価値の不確かさについて

価値観が場面時間比較によって大きく変わることは皆さん経験済みです。

 

商売人のトリックで見られる松・竹・梅の設定では、松を高めに設定することで竹がリースナブルに思わされています。

ワインの展示においては、必ずとてつもなく高価格のものを横に陳列するのだそうです。1,000円、2,000円、3,000円であれば2,000円のものが購入されますが、1,000円、2,000円、3,000円の横に6,000円のワインがあると3,000円のものも売れるのだそうです。

我々の価値判断なんて所詮そんなものです。

 

もっとがっかりする例は、劇場にあなたが向かう場面です。

あなたは1,000円で購入したチケットと1,000円を持っていました。劇場に着いた時、チケットを紛失したことに気づきました。果たして新たにチケットを購入しますか?ちょっと躊躇しませんか?

 

あなたは2,000円持っていました。劇場に着いた時、1,000円を紛失したことに気づきました。残った1,000円でチケットを購入しますか?多分する?

 

劇場に入場するためにはどちらも2,000円を使うわけですが、比較、過去との時間的比較は重要な要素になってしまいます。

 

私は組織をまとめる者としていつも「12ヵ月後に500,000円儲かるけど、13ヵ月後なら600,000円儲かるかもしれないがどうする?」といったような問題に直面しています。

上記の問題に対する答えは迷わないでさらに1ヵ月を待ちます。 しかしながら「今なら50,000円儲かるけど、1ヵ月後なら60,000円儲かるけどどうしようか?」となると結構悩むところです。 待つのは同じ1ヶ月なのに、、、、、

 

確率も価値観もなんと頼りないものなのでしょうか。

 

頼れるのは「直感」だけかも。

直感を磨きましょう、という陳腐な結論?

確かに恋人は直感で選ぶ必要がありそう。

入局先を迷っている若者へ、内科はいかがですか? 医局員の皆様へ、今年の目標は決まりましたか? (2017年2月)

最近はネットを見る機会が以前より多くなり、意外に面白い記事に遭遇します。

 

今回まず、現在研修中でこれからの行き先を迷っている医師の皆さんや、浜松医大呼吸器内科のホームページでも見て今後の参考になんていう学生さんへ。

以下の絵を見て次の質問に答えてください。

 

 

このようなシャーロックホームズのような推理を働かせて診断に至る面白さが、内科学、特に呼吸器病学には存在します。

このような問題解決をつまらないと思わなかったあなたは、内科向きだと思います。是非内科へ。

 

 

 

次に、日ハムの大谷選手絡みの面白い、そして非常に役に立つ記事です。既にご存知の方も多いかもしれません。曼荼羅チャート。

 

 

彼はドラフト会議で1位指名を8球団から得る、という目標を立て、それを実現するためになすべき事項を8つ書き出しました。

球のスピードを160 km/hにする、変化球を磨くなど。

 

そしてさらにそれぞれの項目を現実化するためにさらに細かに具体的な目標事項を8つあげています。

大谷君ほどの人をもってしても「運」を挙げているのは興味深いですね。その運も引き寄せるための努力項目は、人間形成に関することでまたまた感心します。

 

若い頃にこのような目標の整理ができていれば、実行できないまでも今の自分と違う自分がいただろうと残念に思う次第です。

皆さんも一度考えて見てください。

ちなみに、以下のマンダラチャートは現在私のいる法人内でディスカッションして埋めてもらっています。

 

今年も無事に歳をとりましたか?  (2016年月11月)

教育に興味が移った時には歳を取った証拠だそうです。確かに経験を積んでくると若い後輩に説教めいた話をすることが多くなります。聞きますよね、しばしば「俺の若い頃は.....」

それと、歳を取ると鞄の中身が重くなるような気がします。体力の低下が原因ではなく、心配で何でも持ち歩くようになって.....

 

それを承知で話を進めさせてください。

 

私のような大して才能のない者が、学級委員になったり医局で何とかやってきたり法人の管理をするようになった理由は、一つだけ。

それは、

何事をするにもスピードを第一に置いてきたこと。

兎にも角にも素早く事を始める、結果の出来不出来はさておいて、先ず手をつけました、勉強以外の事ですが。

当然、拙速にして反省をすることがあまりにも多いので、走る前に考えれば良かったと何度思ったことか。

それでもいつも自分を鼓舞(正当化の方がいいかも)してきました。

 

しかし走りながら考えるのもそれなりにメリットがあります。

情報入手を可及的速やかに行なうこと、そうすればこれが間違っているかどうかの検証も早くする機会を得られますし、他との交渉ごとも有利になります。

そして決断を早くすれば結果がダメそうなら軌道修正する時間が多くなります。何よりも行動が早ければそれ自体褒められるかもしれません。

 

今回、若者に伝えたいメッセージはとして、早いのが取り柄というのは一例に過ぎなくて、才能にちょっと不安がある方は人と違う何か特徴を持つと良いのではないかという事です。

統計なら僕に、デザインなら私に、ドイツ語なら、宴会なら.....てな感じで。

 

 

かつて当ブログ2012.12月に「鳴かないホトトギスと人柄」を書きました。

それ以前には「石橋の渡り方と人柄」を書いたことがあります(平成22年2月の第二内科同門会誌 p4〜5)。

その中で

私の場合は、石橋と判断したら叩かず、石橋を渡る

須田教授は、石橋の情報をできる限り仕入れて、石橋を渡る

乾先生は、石橋を要領よく叩いて、渡る

中村祐先生は、石橋をゆっくり渡る

と描写しました。

藤澤先生と榎本先生は留学していたからでしょうか、言及されておりませんでしたので、今回、以下のように。

藤澤先生は、優しい言葉で叩き方を教え、陰で自分でしっかり叩いて、渡る

榎本先生は、「さあ、皆で協力して叩こう」と明るく声掛けをして、渡る

ちなみにかつての記載を見ると、柄山先生は、橋の真ん中を、渡る。とありますがその後成長したでしょうか?多分してますね。神社の参道を歩く時も忘れずにね。

 

最近、世の中バイアスで満ちているなぁと感じ入っています。人の行動は論理ではなく感情で左右されるなぁと。それらはまた後日。

人生において何が大事であるか、もう一度考えよう  (2016年月5月)

私達は、これまでの人生の中で一度ならず大事な物を失うという経験していると思います。「大人とは傷ついた子供である」から当然でしょう。

 

それがやむ得ない事情からで自分ではどうすることも出来なかったこともあったでしょうし、自ら進んでそれを諦めたこともあると思います。

 

理由はどうであれ、そのような人生での挫折を乗り越えてこそ初めて大人になるのですから仕方ないです。そのような時は思いっきり泣くしかないことを経験的にご存知ですよね。

いくつになっても涙することは絶えません。

 

一方で私達は、実際の仕事の場面で多くのヒト、そのような希望を諦め大事な物を失わざるえないヒトを診ていく運命にあります。

若い先生達には、治療はできない場合はあっても必ずケアはできることに気付いて欲しいと願います。

それを実践する上で、キリギリスではもちろん駄目で、アリ一辺倒でも駄目で、アリギリス程度が理想かもしれません、心の余裕というかそんなものが相手に伝わると思います。

 

ヒトは、自分が幸せになるため、そして他人を幸せにするために生きているので(だんだん宗教家みたいになってきている)、どんな生き方でもかまわないから善かれと思うことをやっていけばよかった、と思う今日この頃です。

私の頃の医学教育は、人生をいかに送るべきかの観点を欠いていましたので、蛇足ながら。

 

終わりに、さらなる蛇足ですが、

浜松医大呼吸器内科は、トヨタを目指してはいけません、貴方も。

呼吸器内科の種々の分野で、と言ってもそれぞれとても広いのでその中で、つまり各分野で一点の輝いたものがあれば、それが理想だと思います。

トヨタだって軽自動車には弱い。

新年,明けましておめでとうございます.  (2016年1月)

本年もよろしくお願いします.

今年も残り360日となってしまいました.なんというpessimisticな!

 

そんな悲観論者である私ばかりでなく,多くのヒトが損失回避性に陥っているかと思いますので,本日はそれについて.

 

損失回避性とは,利益から得られる満足より同額の損失から得られる苦痛の方が大きいことから,損失を利益より大きく評価する人間心理のことをいうらしいです.

いろんな事例が挙げられています.例えば,必ず1万円が当るクジと50%の確率で2万円が当るが50%の確率で0円のクジがあると,前者を買う心理が働きます.

別の例では,行列のできるラーメン屋に1時間も並ぶと,もう止めようかと思っても今までの時間を無駄にしたくないからとついついもう少しもう少し,となってしまうらしい.

 

実は医療法人の運営に携わるようになって,昨年,不採算部門をどうしようかと迷ったことがあります.実はまだ迷っているのですが......

というのはこの部門に対してこれまで多大な投資をしてきていますので,これを無にする決断がつかないのです.このようにとても迷っている時にラーメン屋の例に出会った次第です.

もう並ぶのはやめようかな,もう少し並んでみようかな,そんな1年になりそうです.

 

大学で研究をしている時に,諦めないうちは失敗ではないと言い聞かせて繰り返し実験をしましたが,やはり損失回避性との兼ね合いが必要だ,と研究している方に伝えたいと思います.

臨床でも物事の見極めは重要ですよね.

 

 

さて,真面目な話し.

最近,こんな詩に出会いました.今までの自分の生き方に大きな反省を促すような悲しくも美しい詩と感じましたのでここに紹介いたします.

「お母さん,僕が生まれてごめんなさい」(扶桑社文庫)向野幾世(著)

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
冷たい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

私の息子よ ゆるしてね
わたしのむすこよ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしえおくれ
お前が 脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱいいっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない?”と聞いている
あなたの心が せつなくて

わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわるほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり

この詩を転記している時に涙が止まらなくなりました.母親の愛情に溢れているからでしょうか........

のうせいと打つと脳性マヒという語句がかなり上にでるのが悲しい.

 

ヒトに優しく出来る気がしてきます.

「今の若い者は」論  (2015年月10日)

自分の過去を過大評価するから,年少者を過小評価する

先日かつての部下にあたるヒト(直接に指導したヒトを第1世代とすると第4世代あたりに指導されたヒト)と話をした折に,「今時の若者は......」と嘆いていました.

この時,エジプトの古代遺跡の粘土板に「今時の若者は.....」とあったという話とダブって大変に興味深く思った次第です.

 

このことからすると今の中学生が「今時の小学生は.....」と言っていると想像するのは難くないようです.

 

これってほとんどすべての場面で使えるフレーズです.

今時の年寄りは,今時の日本女性は,今時の看護師は,今時の政治家は..... どのような状況でも使えるのは,むしろ当たり前のことでしょう,だって世の中は善きにつけ悪しきにつけ確かに変わっているのだから.

 

今,私は水道水をほとんど口にしません.抵抗感があるからですが,かつては公園の水飲み場で備え付けのチェーンで繋がれたアルミのコップで普通に飲んでいました.お水を買うなんて昔は考えられませんでした.

さらに,今では信じられませんが,外来の診察室に灰皿がかつてはありました.診療しながら喫煙する医師も.

 

これらの変化の多くは厳格化,純粋化してきて,本来なら些末とも思える(ヒトによりますが)要因を考慮する余裕が出てきたことの結果でしょうか.

というよりこれらの変化はきっと「過去を過大評価する者は,未来を過小評価する」だけの話で,重要なのは価値観が大きく変わったことなのでしょう.

 

かつては一生懸命働いてお金を稼いだり出世を目指すのが当たり前でしたが,現在ではお金はそこそこでも休みがしっかり確保できる方が良い,というヒトが増えてきました.

すなわち多様で変化する価値観,つまり価値を評価する座標軸が常に変化し,何よりも座標軸上の変数が複雑化してきています.

 

話せば分かりあえるかも.分かってもらえねば深追いしない

では,このような状況の中で,我々はどうのように生きていけばいいのでしょうか.

もしも仕事の中でどうすれば良いかと考えるならば,具体的に医療・介護の世界であれば「医療者側の価値観を押し付けずに,患者さんとそのご家族に満足してもらえる価値観を聴取し,また当方の立場を説明する.お互いが近づくよう実践する」のが解決策でありましょう.

 

お互いの座標軸をなるべく一致させることができれば,問題は少ないでしょうが,しかしながらヒトの意見は基本的にかわりません.

従って,コミュニケーションの最終目的は「お互いの立場を認めあう」ことです.当方の立場を十分に説明し,同時に相手側の価値観を十分に理解するだけである程度は問題解決ができます.

やっぱりコミュニケーションなのでしょう.

「話せば分かる」犬飼毅曰く

当たり前といえば当たり前のことですが,実際に実行することは難しくて,これが正しい,と押し付けていることはありませんか.

あるいはやりたくても時間と人手がないからできない,と言い訳していませんでしょうか.

どうであろうか,と反省するだけでも大きな進歩です.

 

そうは言っても現実,話し合いが中途半端にならざるをえないことも多々あります.

犬飼毅も「問答無用」と言われて殺されたようですし.

その場合にはこじれる前に第三者に相談する,場合によっては第三者に委ねる勇気,英断が必要です.

 

教訓:相互問題解決とは,解決策を捻り出すことではなく座標軸上の変数の違いに気付くことである

決断と出会いとコミュニケーションについて  (2015年7月)

このブログみたいなもの,須田先生をはじめ皆様のご好意で続けられており感謝しておりますが,「前科長より」というのはあまりに味気ないとのご指摘を受けましたので,「前科長のぼやき,時々真面目」という見出しに変更してもらうことにしました.

 

 

さて本日のぼやき.

人生は,「決断」と「出会い」の連続から成っていることの考察.

 

「決断」は瞬間瞬間に起きています.

次に何をするか,何を食べようか,何処で何時頃がいいのか,何をしゃべるか,どのような話し方がその場に適切であるか,向こうからのヒトとすれ違うとどちらに避けようか,人生はこんな些末な決断の連続です.

勿論,人生を左右するような何日も迷う事柄もあるでしょう.しかしそれすらも小さな決断の集まりに過ぎずまるで石垣のような様相を呈しています.

 

「出会い」もしかりです.本当に多くの出会いを毎日毎日繰り返しています.

その結果,出会いの数はとてつもなく多くなりますが,ほんとんどの出会いは別れとなります.そのためか一期一会が勧められているように思います.

 

一期一会という教えは,二度と巡ってはこないかもしれない出会いを大事にということでしょう.

しかし,数多い出会いの中でずっと付き合って行くような数少ない大事な出会いがあり,我々が大事にしなければならないのはむしろこれであると思うこの頃です.

 

どういうことかというと,家族,友人,同僚などこれらの身近なヒト達に対してこそ,いかに接するか,感謝の意を込めた言葉を発するか,を実践していないのではないと反省するようになりました.

 

そうなのです,我々は身近なものに対しての感謝,周囲の慣れ親しんだヒトに対してその存在が当たり前と考えがちになってしまって,扱いがゾンザイになってしまいがちです.

そうなると世の中はうまくいかないことに気付かされます.

もちろん袖すり合う出会いにもそれなりの敬意は必要ですが,やはり日頃の付き合いを大事にすべきだと思います.

 

あなたは昨日,周りのヒトに感謝の言葉を発しましたか?

 

数多い出会いの中でずっと付き合って行くような数少ない大事な出会いがあるといいましたが,僕たちが辛いのはそういうヒトとの別れです.

そのような別れにこそ人生がありそうです.

なぜなら,別れに至るまでに大きな決断が関わっているからです.

単なる距離的な別れであれば,それはいつか会えるでしょう.

ここで言う別れはそのヒトとの人生を捨て去ることですので,決断の辛さたるや想像に難くありません.

だから別れの数だけ人生が豊かになると言うのは,強ち嘘ではないかもしれません.

しかし誰かの歌にあった「涙の数だけ強くなれるよ」と言ったような本当の別れを経験しなければ,人生に大きな影響はないでしょう.

 

だから別れを経験した方がよいというのではありません.

小さな出会いも大きな出会いも大事にして,別れないようにした方が人生はより豊かになるのではないでしょうか.

 

ところで,ヒトと別れるようになる大きな原因の一つにコミュニケーション不全がるように思います.うまくこちらの思いが伝わらないことに起因する誤解,それがお互いを気まずいものにして会わなくなるってことです.

 

決して最近認識したことではなく,またいろんな先人がしばしばアドバイスしていることでついつい我々が怠りがちなこととして,相手とのコミュニケーションを取る手段の選択間違いがあります.

コミュニケーションの内容にはとても気をつかうヒトも,ついつい電話で話を済ましたりメールで話をしてしまいます,直接出向いて話をせずに,です.

 

文章で相手に物を伝えることは,こちらの意図する内容が重く伝わってしまう傾向があります(だからお礼状などはむしろ真意が十分以上に伝わりますが).

最近はメールを手軽に打てますので家人や彼氏(彼女)に簡単に打ちますが,当方の不満をオブラートに包んで打ったところで,やはり相手の胸にはグサッと来る物になってしまいます.

 

メールよりは電話の方が細かな言葉のもつニュアンスは伝わり易く,誤解も生じにくいと思います.

しかし,相手の顔を見てということには及びません.

直接会って相手の表情,眼,言葉の抑揚,言いよどむような戸惑いの印象など電話では伝わらない利点(悪事の言い訳するのは不利になりますが)が,会談にはあります.

ヒトとの無駄な別れを避けるためやお互いの誤解を避けるためには,面倒でも是非直接会って話合うことをお勧めします.

 

という訳で,以上文章で述べたてきたことは私が言いたいことの半分も文章化できておりませんことを付記させていただきます,文章力の無さを棚にあげつつ.

若くないウェルテル達へ  (2015年5月)

皆さんは叶わぬ恋に悩んだ日々の後に,一般社会ではいろんなことに疲れるかと思います.
そこで

<他人の言動に悩むあなたへ>

もちろん自分も例外ではありませんが,多くの人は「ヒトを変えられる」ものと何となく信じて,いろいろ意見や説教やアドバイスをしています.

「果たしてヒトを変えられるか」とあらためて問われると「それ程変えられない」と答えるにも拘らず,自分なら可能なような気がしてあるいは変えられたらいいなと希望を持って,ついつい変えようとしてしまいます.

 

でも,実際はヒトを変えることはできないのです.それを心底自覚すべきでしょう.つまり全く変えようとする行為を諦めねばならないのです.

 

ヒトを変えられないのであれば,一生懸命言い聞かせるような上司の訓示,学校の先生からのお叱り,同僚のアドバイスなんて,全く時間の無駄ということになり無力感すら覚えます.

場合によってはこれらは逆効果のこともあります.

 

ヒトを何故に変えられないかと考えてみると「変えようとする行為そのものが現在の相手の状況を否定している」ことに気付きます,そんなつもりは更々無いのに,です.

そのように自分の立場を尊重しない相手の変えようとする努力に,前向きに反応する者はいないのです.

 

私自身は,

変わって欲しい相手の本質は変わらないけど,彼が表現する言葉や形態は変えられるから(そのヒトが努力すればですが)つまりその気になれば表面的には演じることは出来るだろう,せめて立振舞い,話し方だけでも良くなってもらえれば,と思い説教めいたことをしてきました.

でも本質は変わらないので性格も変わらない結果,言動パターンも大抵は同じようなものになってしまいます.

 

ではどうしたら良いのでしょうか.

これまで多くのHow to本に(個人的には結構好きなジャンルです.あるヒトから見ればばかばかしいと思われるでしょうが,自分自身これらの本でそれなりに啓発された部分があります.リーダーとしての資質に欠ける私がそのような立場になった時,どのように振る舞うべきか多くのことを学び,実践してきました)に紹介されています.

それらには「ありのままの相手をまず受け入れる」ということが異口同音に書かれています.

聞き上手というのにも通じます.

 

ヒトを変えることはできない,と今一度思い直した方が世の中必ずうまくいきます.

まず相手の立場を理解することから始めれば,ヒトは変わるかもしれません.

少なくとも変わったようなリアクションをしてくれるでしょう.

 

ヒトを変えることは出来ませんが,ヒトは変わるかもしれないと期待しましょう.

 

ちなみに,今この項目は「あなたを変えようとして」書いてしまっていますが.←バカみたい.

<日々の仕事や生活に充実感のないあなたへ>

あなたは朝起きて仕事場に行き,まずメールのチェックをして返事をし,昨日のつまらない備品の請求類を見直して不備をチェックしコピーして上司に提出,すると新たに開設した部門の収益性を検討するように言われてこれまでの設備投資や人件費などを細々としてことを調べていると,マキコさんと長島さんが喧嘩しているからというので仲を取り持つように言われ2人と別々に会って話を聞く時間を調整していると,コンピューターの具合が悪くなりあれこれあれこれやっていると,気付くとあっという間に14時..........

といった雑用の連続の日々を送っているから,「ボクはこんな雑用をするために勤めているわけではなく,凄い企画を立て大きな取引をものにしたい.こんな雑多な仕事がなければどれほど充実した人生であろうか.」と悩んでいるのではないでしょうか.

 

でもそれは大きな間違いです.

 

日々の生活や仕事は,まさに雑用の連続です.雑用 (chores) というと語弊がありますがそれにかわる言葉が浮かばないのですが,雑用みたいなものです.

 

別の言葉で言い換えれば日々の必要欠くべからずのこと,といえるかもしれません.人生は雑用の連続で生活も仕事も雑用がメインの仕事です.

雑用の積み重ねが新しいもの,立派な成果を生み出します.

だからどんなに小さなことでも小さなことだからこそ,心を込めてやらなければいけない,ということになります.

 

納得のいく人生を送るには雑用を雑用と見ずに,雑用こそがメインの仕事と理解すると人生や仕事が充実します.

 

ちなみに,大学で研究をしている時に「研究といえども雑用の連続だ」と初めて悟った次第です.←遅いよ.

初夢 7つの提言 『総理大臣! こんな事をしてよね』 (2015年1月7日)

小学生というのはとんでもないことを考えるもので,小学生に将来は何になりたい?とかいう質問を投げかけると,大人の眼からは何をアホなことを,と感じることを平気で言います.

私の場合も今となっては恥ずかしい話ですが,小学校の卒業時の将来の夢として総理大臣になりたい,と作文していました.今なら冗談でも言えない.

でも,幾つか後述するようなことを是非ともアベさんにやってもらいたいと夢想しています.

その1.徴農制

 地方の過疎化と食料自給率の低下は今や喫緊の要事というのは,誰もが認めることでしょう.それを解決する手段です.

 世の中には徴兵制を敷いている国がたくさんあります.韓国では2年ですか,強制的に国防にあたらされています.

我が国では徴農制というのはどうでしょうか.十代のある期間(2年間とか)国の指導により田舎で農業に従事させます.場合によっては漁業でもOKです.

2学年分の若者,おそらく250万人くらい?が過疎の土地で農業に従事することにより,

過疎地のにぎわい(学園都市の華やかさは若者がいるから),

高齢者(経験者と言った方がよいかも)とのふれ合い知識伝統の伝達,

農業生産量の向上,食料自給率の上昇

若者が1次産業の重要性を知り土いじりの面白さに触れる機会ができ農業人口の増加を見込める,

など一石三鳥くらいの効果があると思いますが,いかがでしょう.食料自給の確保は最大の国防でしょう.

 物事を進めるには予算が伴いますが,学校の施設を使い生み出された農産物の売り上げ金を運営費に回せば,お金もあまりかからない.

その2.宗教法人などへの課税

 法人税を下げるという報道がなされています.それは海外からの事業誘致などでいいと思います.しかしながら,宗教法人や社会福祉団体にも法人税を課すべきでしょう.宗教関係の立派な建物をみるとそんな気が......

 国民の借金1000兆円超えと聞くと時限立法でも構わないから,協力をしてもらってもいいですよね,どうせ寄付とかサイドビジネスで得たお金だから.

その3.税金の公平性

 人間は皆平等であるのは当然でしょう.権利が平等なら義務も平等であるべきという立場からいうと累進課税は根本的に間違っていると思いますが,逆進税の様相が前面にでる社会は不健全です.

 そこで日本のような極端な累進課税を押し進めるのであれば,そのような税を払っているヒト達にはそれなりの特権を付与したらどうでしょうか?

役所の窓口では優先的に対応してもらえるとか権利の平等性をそれほど侵さない範囲で.

そうすればアガサクリスティがいう「たくさん書けば国税庁が喜ぶだけ」といった労働意欲の低下を防ぐ事ができ,場合によっては持てる者は精一杯払ってくれるかも.カラーTVが発売当初に爆発的に売れたのは,屋根の上にカラーTVを購入したのがすぐわかるようなアンテナを導入したからです.

その4.一票の格差

 権利の平等性から一票の較差が問題になっています.一見これは正論でしょうが,見方によっては必ずしもそうでないかもしれません,課税の平等性のように.

 A地方にはB地方の3倍のヒトが住んでいるとします.だからB地区の議員数は1/3で良いかどうかは非常にtouchyな問題と思われます.

例えば,国連で日本はインドの人口の1/10だから0.1票と規定されたら反対しませんか.

ある地区の発言権はそれなりに認めるべきと言う立場もありますよね.

その5.65歳以上の徴兵制

 国防は大事と思います.誰もが感じている事ですが,国防と戦争との狭間で悩んでいるというのが実態なのでしょうか.

 徴兵制はあってもいいという立場からは,徴兵されるのは例えば65歳以上という条件付きです.徴兵制を決めるのはこの年代でしょうし,死んでも親はそれ程悲しまない.体力的には十分に役目を果たせるでしょう.

その6.刑法における責任能力,死刑制度

 この領域にはまったく浅学寡聞の身なので少々的外れになるかと思いますが,刑法39条とやらの心神喪失,心神耗弱とかいうのは被害者感情を逆撫でしてませんか.

罪は罪としてさばかれて当然でしょう.

もちろん情状酌量の余地はありますが,遺族となれば無罪というのは納得がいかないのではないでしょうか.殺人を犯す場合に多くのヒトは自分を見失っているのですよ.それでも罪となっているのだから刑法39条は??

 死刑制度は廃止の方向に向いていますが,遺族の感情から言ったらやっぱり?

えん罪だと困るって?間違いなくえん罪を否定できる事例はいくらでもあります.

その7.国民投票制

 政治の理想は直接民主制でしょう.たとえ衆愚政治になったとしてもそれは誰もが納得するものでは?

衆愚政治を危惧する者は「ヒットラーは衆愚政治の結果出現した」と主張します.しかしながら彼は民主政治を衆愚政治として否定したところから台頭しています.

 直接民主制が仮に最善としてもすべての案件決定に参加は不可能です.従って現在の間接民主主義制度は必要ですが,欠点もあります.今回の選挙で自民党が完勝すると全ての政策に賛成されたものと,アベさんは振る舞うでしょうが,それはちょっと違うよといいたいところですよね.

 原発反対のヒトもいるし,集団的自衛権だけ反対というヒトもいるでしょう.

世論の動向から何が国民の重要な関心事かはわかりますので,年に1〜2回程度,一回に3〜4案件の国民投票をしてもらいたいと思います.

それぞれの案件ごとに集計をして多数決の原理で物事を進めていただければ,直接民主制度の良い所を具現化できると思うのですが.

 

なんと馬鹿げたことを書いたかと言われそうですが,あえて浅はかな考えを列挙してみました.世の中の一般のヒトと私がそれ程離れていないと信じて.

ヒトは何故に間違いを繰り返すか? (2014年12月7日)

これを読んでいただいているあなたへ.

今年も皆様無事に過ごされて良かったです.

 

ただ,磐田市立総合病院副病院長の安田先生が亡くなられたこと,この場をお借りしてお悔やみ申し上げます.

 

 

さて,最近アルトサックスを習い始めました.その過程でいくつかのことを学習しました.

 

その1.

須川展也 (←浜松出身) の演奏でないにしてもサックスの先生の演奏を聴いていると,ホントに尊敬に値するものだとつくづく思います.

当方,吹いていると恥ずかしくなってしまい,劣等感すら感じます.

 

でも,気付きました.われわれの専門は医学/医療であり,その学識と経験をサックスの先生がみたらきっと尊敬してくれるのだろうから,劣等感など感じる必要はない,居直っていいのだと.

 

その2.

アンブシュア (管楽器を吹く時の口の形,仏語) に正しいアンブシュアはない.これは,サックスが巧くなりたくていろいろなブログを読んでいて出会った言葉です.

さらに,曰く,アンブシュアに対する正しい考え方はある,と.

 

このことはあらゆる事象に当てはまる真理のような気がします.

野球の打撃フォームに正しい形はないが,打撃フォームに関する正しい理解はあるとか,勉強のやり方にこれといった理想型はないが,取り組み方の正しい考え方はあるとか,人付き合い仕方に決まった方法はないが,付き合い方についての正しい向き合い方はある...........

 

その3.

ヒトは何故に間違いを繰り返すか?

サックスである曲を何度演奏しても,なぜか同じ場所で間違う,譜面に注釈を加筆しておいても何故か同じ所で.

巧く演奏できないいくつかのパターンの中で,最もストレスを感じる出来事です.

そのように悩んでいる時,「人はなぜ,同じ間違いをくり返すのか」という書物を見つけました (ブックマン社,野崎昭弘著).

 

その中で,同じ間違いをする人は7つのパターンに分けられるとのことです.

落雷型,猫のお化粧型,めだかの学校型,這っても黒豆型,馬耳東風型,お殿様型,即物志向型の7つ.

詳細は述べませんが,しかしながら,どうもこの分類の中に私の演奏間違いを説明するものはありませんでした.

 

私の場合には単に技術的な問題だから「Practice, practice, practice!」に徹するべきだ,と理解するに至ってます.

しかし,その本の中で非常に面白いことが書かれていて「本質的に理解するためには,間違えることがかかせない」,熟考のあとにひらめきがあるのだろうと.

 

間違いをしてもいいのだ,否,間違いをすべきだ,と勇気付けられる感じがしているのは私だけでしょうか.

 

でも,間違いを犯しながら臨床を学んではいけません.患者さんは眼の前の教科書である,という陳腐にさえ感じられる言葉がありますが,臨床に間違いが許容されるということでは決してありませんよね.

このアンチノミー (二律背反) に対する解決法として,やはり先輩の指導は重要ですね.

(別のブログを書いている時,パラドックスとアンチノミーの違いえを理解していないことに気付きました)

 

 

<前回の問題2の答え>

一番早い2人が渡る.どちらかが戻る(アダムならこれで3分).次に遅い2人が渡り,ラリーが戻る(これでトータル3分+10分+2分=15分).

最後にアダムとラリーが渡るのに2分,計17分.

エディンバラはいい所  (2014年9月20日)

この項を書こうと思っていたその矢先に,開票の結果スコットランドの独立案が否決されました.

私は学生時代をみちのく秋田で過ごしたため,東北地方の良さを肌で感じているので,東北地方にはそれなりの愛着があります.

エディンバラを訪問した折に,何か東北地方と共通するなんともいえない良い雰囲気を感じたこともあり,今回の選挙の結果を注目しておりました.

周りからは,先生がなぜそんなことを気にするの?と言われましたが...

 

それは,

蝦夷(えみし)のアテルイ(阿弖流為)が,大和朝廷の坂上田村麻呂と幾年にも渡って争ったことと, 映画brave heartで知られるウィリアム・ウォレスとイングランド王エドワード1世の壮絶な戦いは,何かしら共通があるような気がしているからです.

いずれも敗れ去りました.

抑圧された東北人とケルト系スコット人.

京都の清水寺にアテルイの碑があるのをご存じですか.

 

さて,どうしてスコットランドを話題にしたかというと,統合と分化はあらゆる組織,構造において永遠のテーマと感じているからです.

欧州連合のような動きと民族意識の高まり.

どちらかへと偏向するのは,それなりの問題点を孕んでいます.

 

卑近な例では,医療,例えば内科学が細分化され専門に分化していくと,総合的に俯瞰する力が反比例して落ちていくことを経験します.

かといって総合・一般内科では現在の社会からの要求に応えられなくなっています.

物事が深化・進化し複雑化・特殊化すると,細分化は避けられないことですが,私が所属する組織でも仕事の割り振りが進み,ちょっと外れるとわからないことがでてきているようで,仕方ないかでは済まないこともあります.

「専門家」と「何でも屋」が棲み分けをすれば良い,といったことも言われますけれども,専任者を考慮して人員配置をすると高コストになってしまい,結局は消費者にとって不利な状況に陥ります.

 

そうは言っても,

確かに,人間の手の指はそれぞれ形が違い機能的に細分化しているから役立っています.同じなら犬のそれのように器用とは言い難くなります.

また,野球が4番バッターばかりではいいチームにならないのは子供でも理解できます(読売巨人軍はこれが分ってないかも).ベストの9人でなく9人でベストが強いチームなのでしょう.

 

相反する物をいかに取り纏めていくか,永遠のテーマです.

だから,

この矛盾をいかに乗り越えるか,と考える事自体に意味があるのかもしれないと思うしかないのでしょうか.

 

 

おまけ.

最近,マイクロソフト社の入社試験問題を入手しました.

問題は2つ.

問題1は,2回.

問題2は,可能.

ではどうする?

ワールドカップ ブラジル大会を見て  (2014年7月14日)

私は「格言あるいは,格言みたいな名言」が好きです.いろんな本を持っています.それを日常生活に活かせているかというと,怪しいものですが.

How to物も好きなのは,この流れの延長でしょうか.D・カーネギーの「人を動かす」なんていうのはバイブルみたいなものです,2回しか読んでないけど,それも斜め読みですが.

 

「人を動かす」を読んで,言葉で人を動かすことができる,と思うのはちょっと不遜でしょうが,言葉で人が動かなくなる,といった経験は良くしますので実感します.

 

やっぱり

人を動かす物は,感動でしょう.

・試合の後,負けた試合がほとんどでしたが,応援してくれたサポーターの前で選手がお辞儀をする光景.

・応援に使った青いビニール袋にゴミを入れて片付けるサポーターの映像.

・長友の涙.

・負けて帰国したサムライJapanに惜しみない拍手を贈る日本人.

 

勝負事は勝ってなんぼ,であるのは現実です.

しかしながら,

我々の心の源流にあるものは,結果ではなくその過程が重要であるとの「無意識の意識」があるように思います.

だから,

相手選手への当たりも弱いし,綺麗にパスがつながり美しいゴールが決まれば,勝負の結果は二の次になっているような気がします.

でないと,

今回の負けたサムライJapanへの対応は説明できません.

この日本人のもつメンタリティがどうして外国人と違うのか,その原因を解明することは,きっと今後の日本の進むべき方向,ワールドカップでの勝利を手にするために重要なことになるでしょう.

 

とは言っても,

There will be a meeting next Wednesday.

次の水曜日にはミーティングがあった.

なぜ,我々日本人はこの未来の話に過去形を使っても違和感がないのか,といった古典的な命題に対して,明解な答えが浮かばないように,我々のメンタリティの底に流れるものは分からないかもしれません.

 

不思議人,日本人,涙.

「出る杭」について  (2014年4月4日)

先日,カラ(空)山先生が書かれた同門会誌の名シリーズを読んでいたら,「出る杭」論議に触れていました.

以前に科長の言葉に書いた「出る杭は打たれ,出ない杭は腐り,出過ぎた杭は打たれない」ということに対して,「で,結局どっちよ」と疑問を提起していました.

 

これを読んで,「杭」について,ちょっと考えを述べておいた方がいいかなと思いペンを取りました.

 

若者が成長しそれに伴って組織が成長するには,立派な「杭になる」必要があると思うからです.「杭」とは,建物の固定や目印のために地中に打ち込む木の棒で,組織論を展開するにはまさにスポットライトの中心にいますから.

 

英語で「出る杭は打たれる」を何というか.調べると:

The nail that sticks out get hammered in.

これが一般的かなと思われますが,「釘」と「杭」は機能が異なるので,個人的には採用できません.

 

こんなのもありました.

Stand out from the crowd and you just invite trouble for yourself.

「事なかれ主義」にぴったりです.

 

A tall tree catches much wind.

これが最もいいのではないでしょうか.組織において,目立つ活躍をしたり斬新な意見を述べたりして,孤軍奮闘する情景が浮かびます.

 

「出る杭は打たれ,出ない杭は腐る,出過ぎた杭は打たれない」

これに続けて「だから出る杭はもっと出ろ」というのが,私の伝えたいメッセージです.

 

確かに「出ない杭は打たれない」でしょう.しかし先に述べたまさに「事なかれ主義」で,組織は「どんぐりの背比べ」となり停滞するでしょう.

男の人生としても何とつまらないことか.

 

「出ない杭」でも,「縁の下の力持ち」に成りうるのであれば,それはそれで貴重な存在です.地中深く打ち込まれた「杭」は安定感があります.

ただし,これまでそのようなヒトを見ているとやはり光る物がありました.やっぱり何かが上に出ていました.

 

「杭は出ていないと,杭でない」と知るべきです.

 

先日,NHKでたまたま「出る杭」について議論がなされていました.「出る杭」であっても,いかにうまく(打たれないで)立振舞うか,その方法はあるのか,が討論されていました.

その中で:

  • どの程度出るかが問題,ちょっと出る?
  • 杭が出ていることを自覚する,大抵の場合自分が出ていることに気付かない
  • 仲間を募って,何本かで出る
  • 出る杭が打たれないためには,友達の輪が大事
  • 低姿勢であるべき
  • すべては海の中の杭で,海面から出ている時も隠れる時もあり,すべて一瞬である(これは秋元康さんの言葉)

どれをとっても煎じ詰めれば,独善的にならずに協調性をもっていなければならないってことでしょう.

事にあたって根回しはホント大事.

 

指導に廻ったら「出る杭は,打つ!」はいけません.

ジョハリ,って? ジョゼフとハリーのハイブリッド  (2014年3月23日)

人生を論じたり分析したりする場合,いろいろな立場があります.

単元論singularismのように,ある一つの原理であらゆるものを説明しようとする考え方があります.

もう少し進んだ概念で(あるように私には感じられる)dualism,物事を相対立する二つの原理または要素に基づいてとらえる立場もあります.

光があれば闇があるでしょう.陽に対する陰,物事の善と悪,現象と本体,デカルトの提示する心身二元論は,思考的基盤としていろんな領域でわれわれに明確な方向性を示してくれています.

 

私自身,物事を決める時,物事をなるべく単純化して二分法を利用してきました.人生は決断の積み重ねであることはまぎれもない事実であるからです.

折に触れて右か左か,前進突破か後退か,卑近な例では治療するかしないか,ある会に出席するかしなしか,これを買うか買わないか,おやつを食べるか食べないか,生きていく上でいつでも決断がつきまといます.

 

しかしながら,少し年を取り経験を積んで(?)新人の指導をするようになると,二分割の間にはグレーゾーンがあることを意識せざるえなくなりました.現実にはこのグレーゾーンがかなり大きく,この三分割に対していかに対応するかが重要かなと.

例えば,右か左かの結論を出さないで「結論を先延ばしにする」ということが,「一つの立派な選択肢になりうる」のだと理解するようになったわけです.

 

ここ10年くらいはさらに進歩して(進歩したと自分では思っている),物事をなるべく四分割で考えるようにしています.これまでの科長の言葉の中でそのいくつかを紹介してきたとおりです.二分割的思考は直感的にできますが,四分割法では紙に書きたくなります,というか書き出さないと統計で使う「2 X 2 分割表解析」がしにくい.

 

臨床医学の現場では有名な「臨床倫理四分割」があります(図1).多くの臨床現場でこれをもとに患者さんの今後の治療方針を決定していると思います.各項目の細目は,臨床倫理4分割法(Jonsen ARほか著.赤林朗ほか監訳. 臨床倫理学 第5版. 新興医学出版社)を参照してください.

 

さて,今回は「ジョハリの窓」を紹介したいと思います.その理由(わけ)は,かつて「何か物事を始めようとしたらPDCAサイクルが重要である」と医学記憶術,免許皆伝のp143に記したことがあるのですが,PDCAサイクルに入る前にジョハリの窓を通しての自己分析が必要である,と知ったからです.

 

ジョハリの窓とは,図2のようなもので自己分析のためには有名な方法です.自分が知っている領域,知らない領域,そして他人が知っている領域,知らない領域の4つに分けると,自分が知らずに他人が知っている「盲点」,自分が知っていて他人が知らない「秘密」があきらになります.

図3のように,解放された領域を拡大することは自己の成長につながります.

解放された領域を拡張するためには,「自分を隠さずオープンにすること」と「他人のアドバイスを素直に受け入れる」ことが肝要であり,初めて「気づき」が生まれます.

その「気づき」が成長のスパイラル,すなわちPDCAサイクルに入ることが可能になるわけです.

 

いろんな思考法が提案されていますね.

そうは言っても,成長する気がないヒトにはどんな良い方法も馬耳に念仏に過ぎませんから.

今,なぜ家康か?  (2014年1月1日)

2013年末,ゆるキャラグランプリで「出世大名家康くん」が敗れて残念です.

家康としては三方ヶ原合戦の敗北に次ぐ残念な敗戦でした.

 

三方ヶ原の合戦といえば,浜松在住の者として多くのことが浮かんできます.

 

まず第一に信玄坂.

秋葉街道を南下した信玄が,三方ヶ原台地に登ったとされる信玄坂は私の家の北側を走っています.有玉団地入り口の欠下橋を渡ると信玄坂,そしてここから欠下坂を登って台地へと続いています.

 

第二に信義.

ややもすると後世のわれわれは,家康を「狸親爺」と蔑むところがありますが,司馬遼太郎の言葉を借りれば「千に一つの勝ち目のない戦いに滅亡を賭して戦った」家康は,まったく違った人格の持ち主ではなかったか,と推測します.

武田側に寝返る,浜松城に籠る,三河まで退却する,など選択肢は他にもあったにもかかわらず,何故に三方ヶ原へ打って出たか,彼の人となりを垣間見る気がして,到底「狸親父」なんて呼べません.

信なくば立たずの心境だったのでしょうか.

きっとこのことがあったから,その後,多くの武将の信頼を得たに違いないでしょう.今時の若者に欠ける何かを持っていた気が......

 

次に家康の大潰走と夏目次郎左衛門.

夏目次郎左衛門はかつて三河一向一揆の時に家康に反乱を起こしましたが,家康はこれを不問に付しています.この一命を助された恩義に報いるためか,彼は敗走する家康の身代わりになり討死にしました.犀ヶ崖古戦場の一角に夏目次郎左衛門の石碑があります.

この石碑は私の通っていた高校の近くにあり,またこの夏目家の末裔が漱石へと連なるとのことです.祖父が漱石の母方の従兄にあたるため(唯一の自慢)感慨深く石碑を眺めてました.

 

さらに門松.

つまり松飾りですが,この切り口(笑い口)は,関東での竹の切り方は「そぎ」といって斜めに切った形です.真横に切った「寸胴」と違い,「そぎ」は家康が始めたものだと言われています.

家康の生涯唯一の敗北として知られる三方ヶ原の戦いの後,敵将である信玄に対して「次は切るぞ」という念を込めたのが始まりといわれています.

遠州大念仏も三方ヶ原合戦で亡くなった方を弔うために家康がはじめたと言われています.

 

さてさて,前書きが長くなりました.

今回の話題は「徳川家康と統治」です.これが現在の医局の運営にとても参考になるかと考えたことがありますので,話題としたいと思う次第です.

すなわち,大学の医局と関連病院の関係をどのような構造としてとらえるか,に関する一考です.

 

独裁政治に近かった(であった)佐藤篤彦先生が退官されて,私が呼吸器グループを引き継ぐことになった時,今後このグループをどのようにまとめていこうか,いろいろなことを考えました.

大学,各病院がそれぞれ独立した形で行きたいという意見が一部にありました.でも,敢えて半ば強引に「これまでの体制のまま」ということを主張しました.

その理由は「われわれの大学医局や各病院,どれを取ってもまだまだ独り立ちしていく力はない」と思ったからです.

大学と関連病院が診療,研究そして教育について,総体として密に連絡を取ってやっていくのがよい,と考えたからです.

私には佐藤先生のようなカリスマ性はありませんので,どうしたものかとそれなりに悩んだ結果,行き着いたのが徳川家康であったというわけです.

 

ようやく話が家康に辿り着いたってわけですが.....

何故に家康か.

三河衆の中での家康の立場は,家臣団の主人ではなく,家臣団の中の盟主であったからです.家康は三河地区の豪族同盟の盟主であり,その観点からは本多正信も酒井忠次もいわゆる家来ではありません.この点,信長と秀吉との関係とは一線を画します.

私と関連病院の先生方との関係も「盟主・的」であるべきと考えて,そのように対応してきました.同じ釜の飯を食うって感じです.

 

実際,幸いにも他大学や県外の病院の先生方からは,当グループのまとまりの良さと共同研究の質の高さを評価され,全国的にも評価の高い呼吸器科となりました.

佐藤先生時代の土台を基に,皆さんのご協力を得てなんとか母屋ができたと思っています.これからもっともっと発展すると期待しています.

 

ただし,この期待は当グループのまとまりが続くという前提が必要ですが.....

武田信玄も盟主であることを自覚していたようですが,信玄の子の勝頼は土台を築く頃の信玄の立場を理解せず,おそらく主人として振る舞ったため瓦解していったのだろうと言われています.

今後,須田先生やその後に続くリーダーたる先生が,盟主としての立場をわきまえ,かつ各施設の先生方が盟主を立てて行く意義を理解すること,それが前提です.

 

年頭にあたり,是非この点を再認識していただきたいと思います.

接遇には常に反省しましょう  (2013年11月3日)

 君子,豹変す.

小泉元首相が原発禁止を唱えるようになりました.彼が君子かどうかは別として,山本参議院議員のようなエキセントリックな人物が,原発反対というと反発するするヒトもいるかと思われますけれど,小泉さんが言うとなんか説得力があります.小泉さん,実際は大した事をしていないという批評が溢れますが,それでもリーダーとしての魅力があります.リーダーはWhat to doを,司令官はHow to doを考えるという堺屋太一さんの組織論にぴったりはまります.

 

 さて,東北楽天ゴールデンイーグルスの優勝,おめでとうございます.

楽天ファンもそうでないヒトもこの優勝は嬉しい限りです.心ならずもヒール役になってしまった原監督が,おめでとうと言った言葉に全てが表れている気がします.

 9年越しの夢は早かったのか遅かったのか,どうなんでしょう.いずれにしても,ヒトの価値は,「何を得たからではなく,何を与えたかで決まる」という観点からは,3年前にすでに東北楽天は優勝しているといえます.

 

 さてさて,先日,我が人生の中でも一二を争うような厭な出来事に遭遇しました.東日本大震災時のディズニーランドのスタッフを少しでも見習って欲しいような出来事です.
それは,
朝,出張のために浜松駅に着き切符を買おうとして,財布を忘れたのに気付きました.自宅は遠方であり時間も迫っていたので,確か交番に行けば小額のお金なら貸して頂けると聞いていたので,浜松駅前交番を探し当てて訪れました.

 

「財布を忘れてしまい,切符を買う事ができません.勤め先にいけばお金はなんとかなりますので,豊橋までの500円をお借りできませんか.身分証明はできますが.」

「規則でそれは出来ません」(かなり事務的な言い方で)

「それはないでしょう.まあそれは別のところで話合うとして,個人の立場でお貸いただけませんでしょうか?」

「個人的には厭です.」(木で鼻を括る感じで)

「そこをなんとかなりませんか?このままではどうすることもできないのですが...................」

「見ず知らずのヒトには貸したくありません.貸して欲しければ,その辺のヒトに頼めばどうですか」(入り口の外を指しながら)

「通りがかりのヒトでは返しようがないでしょう.ここなら確実に返せますし,身分も証明できますが」

「忘れたあなたの尻拭いを,どうしてこちらがしなければいけないのですか」

最後に,JRにでも行って相談したらと言われて終わりました.

 

 以上の経緯,どうしても納得ができません.今でも.まったく.
日本人やめたら,警官やめたら,って感じです.

 

第一に,警察の規則で貸せないのは何故か?
これについては理解できます.後で中央警察署の偉い方とお話をさせて頂いた折には,「予算立てされていないので例外なく不可能である」とのこと.

 

第二に,では,個人的にはどうか?警察署の偉い方は「警察としては金銭貸借のトラブルがありうるので,個人的にも貸さないように指導している」とのことでした.
個人的にあれば個人の問題であるから「個人の責任でなるべく市民のためになるように振る舞いなさい」という指導なら理解できるのですが......呆れた.

よって,かなり不満.

私が警官であれば,間違いなく困った市民には協力していると思うのです.
日本人の親切さはどこへいったのでしょうか.模範となるべき警察官は?
警察にとっては日常的なことでも,われわれにとっては非日常であることなので,もう少し親切に対応をして欲しかったのです.

 

医療を行なっていく上で我々はこれを他山の石として,十分に反省しなくてはいけない事と思った次第です.

 

第三に,警官の接遇について.これはもう論外ですね.嬉しいことに謝罪して頂きました.しかしながら,浜松駅前交番の張本人は反省していなしことが,後に判明しています.呆れます.

 

接遇については「患者さんに失礼のないような対応をしなくては」と強く反省しました.

 

閑話休題

 医局を離れて(2013年6月参照)の項で,コヴィーの「7つの習慣」の内容を紹介しました.その中で,時間管理についての4分割のうちB「緊急でないが,重要である」が大事であることをお伝えしました.


「7つの習慣」スティーブン・R・コヴィー 著 キングベアー出版
「医学記憶術 免許皆伝」  千田金吾 著 南江堂

 おそらく「何を今さら.わかっているよ.」という感想を持たれのではないでしょうか.

 

 しかしながら,以下のような事実が指摘されています.すなわち,「1日24時間にもう1時間あった,何をしたいですか」と聞かれると,「読書,勉強,自己研鑽」と答えるそうです.

そしてそれが図のどの領域に入るのか,聞かれると,「B」と答えます.

残念ながらほとんどのヒトが,これが問題ということに気付いていません.

なぜか?

その答えは,まさにBの「緊急でないが,重要であることを」1日24時間の中に入れていないからです.
これではB領域を磨くことなど出来っこないでしょう.
時間管理は,Bの領域を中心に1日を組み立てなければダメなのです.

 

頭でわかることと心底理解して実行することは,全く異なる次元の話である,という当たり前の教訓でした,悪しからず.

以上は,「タイム・マネジメント 4.0」プレジデント社 竹村富士徳 著に詳しく出ています.

 

 ちなみに,女性を口説こうと思っている君.
これまでの私の文章のように説教めいたことを一生懸命に話すと,女性には受けが悪いです.彼女達と話す時は,ひたすら聞く,聴く,訊く.すると気に入られるハズ.ご注意を.

東京オリンピック 金メダル第一号 (2013年9月8日 記)

 法人の出版部から次回原稿の依頼があり原稿を練っていたら,早朝テレビで東京オリンピック2020が決定と報道されています.この文章が読まれる頃には,東京誘致の興奮も,その後の余韻も落ち着いてきているものと思います.
しかしながら,あらためて東京オリンピック2020での「最初の金メダル」であると心より祝いましょう.

 

 さて,この勝因は何だったのでしょうか?

 東日本大震災に対する世界の同情,悲惨な状況にもかかわらず被災された方々の整然とした道徳性に富む行動,これらは間違いなくオリンピックを引き寄せました.
一方で,福島原発での汚染水問題は,相当な力でオリンピックを遠ざけました.潮が引くようでもうダメかとあきらめていました.

 

 なんといっても最終的に勝利を勝ち得たのは,やはり日本の持つ底力ではなかったかと思います.多様で伝統的で斬新的な日本文化,尊敬される日本人,美しい水に満ちた日本の風景,どれが欠けても実現は不可能であったのでしょう.(なんか,だんだんABEに似て右翼的な発言に....)

 

 ここで陳腐な日本人論を述べても浅学非才を露呈するだけなのでしませんが,二つだけ強調したいと思います.

 

 一つは「日本人が持つ絆の強さ」です.どこかで書いた覚えがありますが,「絆はひとり一人が異なっているからこそ,同化しようと強く結び付くことができる」のではなかろうかと.
日本人は良い意味で他人と自分を差別でなく「区別」し,目的が定まると一致団結します.目的がシンプルであればある程,より強固な結びつきを有機的に行なうことが出来るのではないかと.

 

 二つ目には「日本人は自己改革や自浄作用がなかなかできない」のではなかろうかと.原発事故に学べない日本人は,決して少数派ではないでしょう.
木陰で休むことが出来るのは,遠い昔に木を植えた先人がいたからであることを思い出すべきです.我々が良き先人になるために何を変えるべきか,今一度立ち止まって考えなければ.......我々は木を切ってばかりいないか.....

 ABE48らは,IOC委員をうまく騙したって感じです.

 

最近,面白いと思ったクイズです.(我々の習性を修正しなければ......)

 

どれを選びますか?

  1)明日 1000円もらう  2)1ヶ月後 1500円をもらう

ジャンボ宝くじを毎年100枚購入するとして,一等に当選するまでには,どれだけかかると思いますか?

  a)100年,b)1000年,c)1万年,d)10万年

 

(答)は挿絵の下です.

努力は失敗した結果を補うか? (2013年8月 末)

今,産業医の講習会の講義を拝聴中です.一週間の集中講義のためかなりしんどく,こうして内職でもしない限り集中力の持続は難しい.

 

今話題のDJポリスの男性の名前も千田(ちだ)さんです.

このDJポリスで感じることは,DJポリスの持つ優しさやユーモアと同時に,それを素敵であると評価できるわれわれ日本人の国民性,感性です.

われわれ日本人は,1000兆円を超す国の借金や福島原発事故になんと鈍感なのだろう,究極のドン詰まりまでいかないと目覚めないのだろうか,と少々残念に思っていたので,ちょっと救われた感じです.

 

ゴマメの歯ぎしりでどうにもならないのですが,将来,原発で再度問題が起きた時,当時の大人は何をしていたか,と責められるでしょう.しかしながら大したことはできなかったけど,出来る限り反対の声をあげていた,と言いたいです.太平洋戦争開始時にも反対したヒトがいたでしょうに,戦争に突入してしまいました.

 

宗教法人や医療福祉法人に課税をして,累積赤字の補てんに充てて欲しい.....

寄付行為だから非課税?

パチンコ税は?なんで彼らは税金免除なんだろう.

 

いつの時代もスポーツはわれわれの生活を豊かにしてくれます.日本代表サッカー,プロ野球や世界陸上など,いろんな点から話題となっています.

勝負の世界ですから,結果,これが良ければすべてOKといった世論の動きです.

 

しかしながら,いつも感じることですが,「出場までの努力の過程と結果に対する評価は,まるで人生の縮図」.

世の中には,努力が報われない結果なんてゴロゴロしていて.....

そこで,前々回のブログで,有名な四分割を提示しました.このことに関しても四分割を示してみると....

Aの領域,努力をして成功をおさめた場合には,誰もが賞賛するかと思います.ホットなニュースで言えば,男子マラソンの中本健太郎.彼は,高校時代はもちろん,拓殖大学時代も全く無名というか立派な結果を出していませんでした.しかしながら周りの監督さんたちのサポートのお蔭で,ロンドン五輪代表となり6位入賞,そして今回の世界陸上では5位となっています.なんと素晴らしいことか.

 

それでは,怠けていたにもかかわらず成功した場合,Bの領域ではどうでしょう?

楽天の田中将大投手の場合はここでしょうか.多分違いますね.彼のように突出した才能があるヒトでは一見なにも努力していないだろう,という錯覚に陥ってしまいそうな程に天賦の才能が前面に出てきてしまいます.おそらく彼の場合にもA領域に違いありません.

 

年末にAKB48のドキュメントをやっていました.アイドル志望のぽっと出の女の子の集まりか,といった認識しかありませんでしたが,彼女達がいかに過酷な下積み活動をしていたか,数人の観客の前でも最善を尽くした結果があって今があるのを知って,嫌いではなくなりました.やはりAKB48は領域Aでしょう.

 

B領域のヒトとしてスポーツ界から名前をあげることは,当然ながら不可能かもしれません.

Bのような努力なしで世に知られ成功したと思われるヒトをあげると,芸能界における親の七光り芸能人でしょうか.

個人的に,イマルとかホノカとか好きでないです(ファンのヒトがいたらすみません)

 

私に限らずかなりのヒトは,AとDの領域に属するヒトに好感を持つのではないでしょうか.つまり判断基準が努力の有無にあるわけです.

ところが世の中にはAとBの領域に重きを置くヒト達がいます.

そう,好感を持つ事と評価することは別であるヒト達がいます.

成功したか否かがずべてであるという価値判断を信奉するヒト達です.努力したって失敗すれば何も残らない.......

 

男性にこのような価値判断をする場合が多いと言われます.すなわち女性の方が努力の過程を重視する傾向があると言われますが,どうでしょうか.むしろ個々の差の方が大きく男女差はない気がします.

 

努力は失敗した結果を補うと信じましょう.結果がすべて,すべてが結果ではないでしょう.そうだとすれば,次につながるものを失います.少なくともリーダーたる者,この辺りを考慮せねばヒトはついてこないことを知るべきでしょう.

 

一方,使命を言い付けられた部下としては,よい結果を追及しなければいけません.

もちろん最大限の努力は怠らずに.その時,努力していることは周りにある程度アピールしてもいいのでは,と思います.というのは,周りはそれ程にあなたのことは見ていないからです.派手なスタンドプレーということではなく,相談やアドバイス,進捗状況の報告とかを通して努力をしていることは,アピールしないと理解されません.奥さんに,愛してるよ,と言わないとわかってもらえないように.

ガイドライン実践ブックの発刊に寄せて(2013年8月)

 ガイドラインに関する本は数多く出版され,呼吸器疾患関係だけでも20種類を超えます.内科疾患関連まで範囲を広げると,とても個人が全てのガイドライン本に当ることは不可能です.

 そこで,これら多くのガイドラインを鳥瞰図的(鳥瞰と俯瞰は違う?)に見る方法はないか,という立場からQ & A 式の解説書を企画しました.秋には上梓の予定です.

このアプローチが,氾濫する情報に埋まってしまう中から,必要な点を意識してポイントを絞り込む一つの解決策ではないかと思います.

 

 さて,われわれは「自分に関係ないものは見落としがち」です.

また,知っている(と思い込んでいる)部分にはあらためて眼を配ることをしません.そして,われわれは「自分の見たい物しか見ない」という短所もあります.

 

 そういったことからおこる弊害,つまり「ミスは知識不足よりも驕りに起因する」という事実に気付いていないとか,お風呂の入り方は実は十人十色で非常に個性に満ちているのにもかかわらず,誰もが同じように入浴していると決めつけていて,診療も実際のところかなり自己流に陥っているとか,が実地臨床に満ちています.

 この悪弊を最小限に抑える方向性を示すことが,ガイドラインに与えられた役割です.

 

 従って,ガイドラインは身近にあって,研修医から専門医まで常に手に取ってもらえるものでなくてはなりません.まさに「物の価値は使われる頻度で決まる」のです.(ヒトも同じですね)

 本書で取り上げた多くのガイドラインが,本書を通して身近なものになることを祈念しています.

医局を離れて(2013年6月)

 早いもので大学を辞してから,既に半年が経ちました.

この場をお借りして,長い間,先生方に支えられてやってこられた事を感謝しお礼を申し上げます.

 

 図らずも現法人に移って,理事長の大役を引き受けることになりました.

 過去に不正請求のために社会的にご迷惑を掛けた施設ですが,1)粛々と返済をすること,2)従業員のさらなる待遇改善,3)組織のガバナンスの確立,という3つの目標を掲げて,日々の医療に邁進しております.

 そこで,当法人のキャッチコピーを作りました.「医療,介護,日本一への挑戦」というものです.

 医療介護レベルアップには時間がかかるかと思いますが,報酬では近々に日本一を達成したいと思っています.それにより,本邦における高齢者医療が抱える低賃金という問題の解決に向けて,ブレイクスルーとなれると確信しております.

 さらには,仕事内容のレベルアップが結果としてもたらされると思っています.

 

 さて,私たちは日常忙しく働いており,自分を見失いがちになります.実際,自分が大学に在籍していた折には,図1のAにとらわれてしまいがちです.

 「7つの習慣」(コヴィー著)という本にこの分類が出てきます.


「7つの習慣」スティーブン・R・コヴィー 著 キングベアー出版
「医学記憶術 免許皆伝」  千田金吾 著 南江堂

 ちょっとした禅問答になりますが,この中のBを重視することが提唱されています.なぜ?

 簡単にまとめてしまうと,Aに集中していると毎日がさまざまな問題に振り回され,疲れてDへ逃げ込む,Cは「多くの電話,突然の訪問,無意味な接待」など他人の期待に振り回されている状態,Bは重要な問題を普段からこなしているため,緊急への準備も可能.

 (臨床の救急の現場では,Aが最優先です)

 

 しかしながら,普段の勉強ではBのカテゴリーが重要なのです.

 「大きな成果をあげるヒトは,問題に集中するのではなく,機会に集中している」(ピーター・ドラッカー)と書かれています.(以上医学記憶術 p32から)

 大学を離れて,時間を見つめる機会ができ,前述のようなことを再認識した次第です.

 

 また,大学を離れて一般事務職の方と触れ合うようになって考えるようになったことが,図2です.


「ついていきたいと思われるリーダーになる51の考え方」
岩田松雄 著 サンマーク出版

 大学での仕事は,仕事ができることの比重がとても大きくて,人間性に対する評価はごく小さなものであったように思います.極論すれば「仕事ができれば(学問的に成果をあげていれば,と言い換えられるかも),性格が多少悪くても(コミュニケーション能力に多少難があっても,と言い換えられるかも)それで(Cの領域に入っていても)OK」といった感じであったと思います.

 ところが,一般社会にもっともっと近い今の職場では,Cでは具合が悪いのです.

 前の時間管理の表と同じで,やはりBの評価は悪くないな,といった感じです.B > C,このことはスタバーのCEOの岩田松雄氏が主張しているところです.

 

 以上のことを意識すると,より良い管理者あるいは,より良い部下になれるかと思います.

2013年プログレスから 科長として最後の文章(2012年12月16日)

大黒

 今年は,AKBで始まりABEで終わりました.ABEにより原発稼働が促進されたものと半分あきらめの境地です.ABEはゴルフをすれば玉がおそらくスライスするのでしょう.(私はどちらかというとドローボールですが,実際の話)

 今年の漢字は「金」.私と深い関係があるはずの字ですが,今年の私にはまったく無関係な「金」です.ロト6もなかなか当らない.でもロトは自分で選べるからいいと思ってます.

 今年は,というか近年,「イケメン」が流行です.当方「イケメン」「イクメン」とも関係なくどちらかというと「イタメン」です.イタリアンが好きだからではなく,痛男.

 

 くだらない話はともかく,新しい組織が立ち上がって始動し始めています.しかし,ちょっと残念に思うのは,組織の中の一部のヒトに,身の処し方について戸惑っている方がおり,結果として組織が一枚岩に成り切っていない点です.

 そのうち時間が解決してくれます.しかしながら「現状にしがみついてばかりでは道は開けない」のに,「こういう時いかに振る舞うかこそがそのヒトの価値を決める」のに,と思われる人達がなんと多いことか.

 組織とはまさに無生物です.魂ないしは生命を注入するのがリーダーです.そしてそれに対して有機的に動くのが部下です.リーダーに協力できないものはやはり身を処するべきでしょう.

 

 さて,医療の現場ではしばしば「患者さんのため」と言われます.しかしながら,果たしてどれだけのヒトが真に患者さんのことを考えているでしょうか.このような思いに至ったのは,一口に患者さんのため,といってもいろいろな立場があると実感するようになったからです.

 

 自分自身について言えば,若い頃は医師としての自分を磨き,その知識と技量が優れたものになれば,結果として患者さんのためになる,と考えてきました.従って,知識を増やしたり技量を磨いたりするための苦労は,当然のことであり己を高めることなしに,患者さんに良いものを提供できない,という思考でした.仏教でいうまさに「小乗的」な思想に近かったと言えました.

 その延長で,良い医師,すなわち知識と技量と判断力を持つ医師,を育てることは結果的に患者さんのためになるであろうと考えて,教育というものには随分と時間と労力を割いてきました.

 しかし,最近の自分の考えはこれではいけないと変えようと思うようになりました.教育すらも小乗的かなと.

 われわれ医師はもっと「大乗的」である必要があるのではないか.つまり,自分や後輩を磨くよりも,患者さんの救済を一義的に考える必要があるのではないか,と思うようになっています.

 医師が職人であるならば,職人の持つ本来的なあるべき姿を再認識する必要があります.

 職人とは,決して自己満足の「美学」を追求するものではなく(寿司屋の頑固親父が,客に食べ方を強要するのではなく),依頼主の希望に快く応じられる能力を有した者,と定義できるではないかと.

 

 さらに,もっと言えば,最近では患者さんそのものばかりではなく,高齢者の無意味な延命の背後にいる家族にとっての希望とは何であるか,まで思いを巡らす必要があるのではないかとまで考えるようになりました.

 しかし,以上のことを決して考え方が進歩したとは考えておりません.場合によっては純粋さが薄れてきたと言えないこともないからです.

 要は,いろいろな立場,いろいろな見方,いろいろな意見,どれを取っても真に患者さんを思った結果であれば,すべてOKでしょう.正解なんてないかもしれませんから.

 

 以前のプログレスで,「橋の渡り方と人柄」を述べてみました.今回は「鳴かないホトトギスと人柄」についての考察です.

私の場合,これでこのようにやるように目指してきました

          鳴かぬなら 共に鳴こうよ ホトトギス

 

須田先生の場合   鳴かぬなら ホトちゃんどうしたの ホトトギス

        (注)ホトちゃんはホトトギスのこと,雨上がりではない

乾先生の場合    鳴かぬなら 少しだけ待とう ホトトギス

中村祐先生の場合  鳴かぬなら 鳴いたことにして ホトトギス

藤澤先生の場合   鳴かぬなら 愚痴っちゃうぞ ホトトギス

榎本先生の場合   鳴かぬなら カミさんに怒られる ホトトギス

橋本先生の場合   鳴かぬなら 私が鳴こう ホトトギス

穂積先生の場合   鳴かぬなら オフサイドOK ホトトギス

柄山先生の場合   鳴かぬなら なめんじゃねーぞ ホトトギス

河野先生の場合   鳴かぬなら 誘ってあげない ホトトギス

松浦先生の場合   鳴かぬなら 明日があるさ ホトトギス

赤松先生の場合   鳴かぬなら マイクが欲しい? ホトトギス

草ヶ谷先生の場合  鳴かぬなら そういう日もありますね ホトトギス

原田先生の場合   鳴かぬなら 僕が泣いちゃう ホトトギス

池田先生の場合   鳴かぬなら 山に隠(籠)るぞ ホトトギス

伊藤先生の場合   鳴かぬなら 任せてください ホトトギス

森先生の場合    鳴かぬなら 統計的には ホトトギス

佐竹先生の場合   鳴かぬなら 弁当あげない ホトトギス

井上先生の場合   鳴かぬなら 大山頼むよ ホトトギス

大山先生の場合   鳴かぬなら 裕ちゃんと会えない ホトトギス

        (注)裕ちゃんは,もちろん裕介

新しい門出にあたり(2012年8月26日)

 内科学第二講座の教授は,無事に須田先生に決まりホッとしています.ヒトの判断というのは勝手なもので,私が応募を取り下げた年齢の問題を,今回須田先生の時にも問題にされ「経験に乏しい」と言われてしまいました.このネガティブキャンペーンは結構きついものでした......

 内科学第二には3つの大きなグループがあります.診療,研究,教育の実績からいって,呼吸器のヒトがトップになるのが自然ですし,地方の医療を担う大学として最も適当な選択であると思うのは,大勢であろうと思います.(呼吸器の医師としての発言ですので無視していただきたいのですが....)

 われわれは内科医ですから,いろいろな分野に目配りをしなければいけないですし,講座としてはバランス良く共存しなくてはいけません.その点ではこれまでの体制は不備なものであったといえます.須田先生に期待するところです.

 

 日本は今,大事な岐路に立っています.原発賛成,原発反対どちらも言い分がありそうです.これはもう好き嫌いの域に達しており,感情的なものでは論理的に相手を論破するなんて無理かもしれません.

 後発品の薬を使いますかということに関する問題に似ています.わたしの持論は「あなたはトイレの水を飲めますか? 多分,台所の水と水質は変わりないのですが,感覚的には遠慮したい」であります.原子力発電でも同じ感情を抱きます.原発はトイレのないマンションに例えられますが,トイレの水のような感情を「原発」に抱いてしまいます.

 原発に賛成か反対か,ドイツ人は大変に明解です.止める必要があるならば計画的にこのように廃止しようと.しかし,われわれ日本人は「賛成」「反対」の選択肢に加えて「どちらともいえない」というものを設けがちです.これでは世界標準の考えには対応できないのではないでしょうか.

 何も日本的な考え方を否定するつもりはなく,また正当性もありません.しかしながら,曖昧にしてはいけない事項は必ず存在し,そのことに関しては苦しくても結論を出すのがbetterでしょう.時期尚早というと,百年経っても時期尚早です.東電の失敗の始まりは「ミスは知識不足から起きるのではなく,驕りから起きる.噓も百回言えば真実になる.」という事実に現場が気付かず,またこれを指摘できるリーダーを欠いていたからでしょう.

 日本再生の最後のチャンスと思います.もしも一流国でいたいなら.でも小さくても二流国でも幸せになろうという選択もありかなと思います.

 

 夏休みを利用して,acronym 頭字語,mnemonicsニューモニク,記憶術,語呂合わせを整理してみました.2012年度中には上梓されると思います.発売されたら是非お買い求め下さい.以下その序文の一部からです.

 

 物事を覚えるには,そのことに精通すれば良いわけです.サザエさんの登場人物は,日曜の夜の番組を見ている人には,「お魚くわえた....」という音楽とともに誰でも頭に浮かんでくるでしょう.(ちなみに「磯野家の相続」(すばる舎)によれば,波平が死んでも相続人はフネ,サザエ,カツオ,ワカメであり,マスオさんには相続権がないとのことで,ちょっと意外).

 ところがピーナッツ(と言うよりスヌーピーと言う方が有名でしょうが)はどうでしょう.欧米人ならSnoopy, Charlie Brown, Lucy, Sally, Linus, Woodstockなどの登場人物は簡単でしょうが,日本人にはあまり浮かんできません.

 

 では,なじみがないものを覚えるのにはどうしたらよいでしょうか.「いい国作ろう鎌倉幕府,1192年」のようなmnemonicsが有用でしょう.最近では1185年「いい箱作ろう鎌倉幕府」が正しいという説が有力のようですが....

 ガッツ石松は「良い国作ろう鎌倉幕府」だから4192年と言ったとか言わないとか.

 いずれにしても,私にとってこの年号は,歴史の流れを理解する上で,ひとつの大きな基準になっています.

 五大湖は日本人にとってはどうでもよいものです.米国人は知ってないとまずいでしょう.「Just think of HOMES.」を覚えれば,Huron, Ontario, Michigan, Erie, Supeiorは簡単に思い起こせます.SM HErO(アダルト業界のヒーロー)なんていうのもあります.

 

女性が男を落とす「さしすせそ」の法則,というのがnews.mynavi.jpに出ています.

さ:さすがですね
し:知らなかった
す:すごーいっ
せ:先輩だから
そ:そうなんですか

上級者向けの印象がありますが,上司をヨイショするためには(同出)

さ:さらに持ち上げる
し:しぶとく言い続ける
す:すぐに持ちあげる
せ:性格にも言及する
そ:そっとメモを残す

言ってはいけないダメな「たちつてと」も見つけました.

た:大したことないですね
ち:違うでしょ,それ
つ:つまらない,それ
て:適当にやって
と:どうかな

これらの言葉は「引き寄せの法則」(講談社)の観点からいうとマイナスの波動が働きますので,避けねばなりません.

 

 このような記憶法は「くだらなくて,漫画っぽくて,学問的でない」という批判はあるでしょう.しかし,所詮,医学の知識は雑学の集合です.医学の範囲もあまりにも広くなり,サザエさんの登場人物を知るように精通できないことが多いのが実際です.効率的な暗記法となるでしょう.

 ただし,欠点もあります.例えば,消化管出血をきたす疾患群をこの方法で思い起こしても,3Cs (Critical, Common, Curable) それぞれの重み付けがないことです.すなわち,見逃してはいけない(外来で帰してはいけない,Critical)疾患,最も可能性のある疾患(Common),とりあえず有効な治療法がある疾患(Curable),というようなランク付けが抜けがちである点です.

しかし,この欠点を承知の上でならば,読者の大きな力になると信じています.

新しい年に向けて (2012年1月4日)

 昨年は言うまでもなく大変な年でした.信じられない不幸がまとめて来た感じです.呼吸器内科グループでは病気になったヒトも完治し,まずはおめでたいと思います.

 

 個人的には新しい趣味をはじめなければと思い,「冷やし中華」ではなく「墨絵,始めました」.あまり描く機会がないのですが,賀状には龍の絵をあしらってみました.何も書かないとどこから取った絵と思われるかな,と女房に言ったら「それ程の出来映えではないし,落款があるからいいんじゃない」と相手にされませんでした.

墨絵、はじめました

  

 

 さて,来年度は内科学第二講座も出発の時を向かえます.個人的な話になりますが,昨年の末,教授選考への応募は取り下げることとしました.

 理由はいくつかあります.残りの任期が5年というのが短いという評価が一部ではあるようなので,最終選考時にこれをことさらに指摘されるのは避けたかったこと,本来私の役目として目指したものは,呼吸器内科を立派なものに発展させ,同時に人材を育成する点にあったことなどからです.自分自身の個人的な業績を追い求めたことはありません.

 開院当初は,佐藤篤彦先生の指導のもと,わずか4人でシャーカステンの前でカンファランスを行ったことを今更のように思い出します.その基礎を基に現在の発展ができたものと思います.つい3年前まで第二内科から与えられたスタッフの数は10のうちわずか2(准教授,助教の二つ)であり,この少ない人数で臨床,研究,教育に携わってきました.それは非常にしんどいものであったことはご理解いただけるものと思います.

 その状況下で私のインパクトファクターの総点がほぼ650点に登ったことは,呼吸器グループの「人の和」の結集の結果であったと思います.私の与えたテーマに皆さんしっかり答えて頂いております.ありがとうございます.

 

 物事が成るには,「天の時,地の利,人の和」が必要です.私には年齢的な壁のため「天の時」にあわないかもしれないと思いました.もう少しこれまでの貢献が評価されてもいいのでは,という気持ちがないわけではありませんが,内科あるいは第二内科あるいは呼吸器内科で一緒に働いていない先生方に,我々呼吸器内科の置かれた状況が厳しいものであることを理解してもらいたいと思うのは,無理があるのでしょう.いずれにしても「天の時」には恵まれませんでした.

 また「地の利」関しては,当科の中では出身校が問題になることはなく実力次第で評価されてきましたが (この点で中村教授には感謝しております。第二内科では学閥というものはまったく存在せず、公平に扱ってもらってきましたし、将来もそうだと断言できます。)、外部からの評価の上での選考となると,私は浜松医大出身者でないため「地の利」の点でも不利とも感じました.

 そして幸いにも当科には立派な人材が何人も育っておりますので,後輩に託すのがベストの選択と考えた次第です.

 

 中村教授には長年お世話になり,あらためてこの場をお借りしてお礼を申し上げます.お疲れさまでした.教授が「裸の王様」にならぬように言いにくいことをアドバイスするのが責務,と考え耳に痛いことを言わせて頂きましたので.任期の後半は決してうまくつきあえたとは言えません.しかし言い訳になりますが,そうしないと内分泌以外のグループの存在が無になってしまい,第二内科が矮小化されてしまうという危機感を,多くの医局員が感じていたからです.各グループ間での仕事量の不公平さの改善に,多少は貢献できたと思っています.

 

 これからもうしばらく第二内科そして呼吸器内科の体制を整えることに努力いたします.その先はこれまであまり顧みなかった家族のために,時間を割いていきたいと考えております.(2012年1月4日記)

ジェネラリストとスペシャリストの狭間で (2011年7月19日)

 呼吸器疾患エッセンシャルドラッグ108の序文から

 

(2009年4月記,ちょっと古い原稿ですが......我慢してお読みください)

 

 初版が出版されてから足掛け4年が経過しました.この間,多くの新薬が市場に出てきました.同時に,あるものはその役割の限界が知られるようになりました.今回,これらを網羅する必要性があり,改訂作業を行ないました.好評であったサイドメモの追記も行ないました.

 巻末には,災害の場などでのプライマリケアに必要な最低限の薬剤として「診療所に必須な薬剤20」をリストアップしました.また「診療に役立つ漢方薬」をまとめました.さらにベッドサイドで活用しやすいものになったと思います.

 

 日本人が優秀な民族であることは疑いのないことです.それは我々が持つ勤勉さの結果であります.どんなことでも突き詰めて一つの究極の形にしていく能力は,資源の少ない国にあっては必要欠くべからずのことです.

 ところが,物事には必ず表と裏があるように,この勤勉という性癖が必ずしも良い方向に進むとは限りません.究極は害をなすことが多いのです.

 

 例えば,明治以来の官僚制は形を整えて,維新,戦後の動乱を乗り切るため多大な貢献をしてきました.ところが今となっては,究極に組織化された省益が追求され手段が目的化しています.

 

 医学の世界では,ある学問が提唱されるとその領域は磨かれ,ついには「○○道」と究極を求めることになってしまいます.腫瘍学が腫瘍道になっていませんでしょうか.一つの癌(例えば乳がん)の治療に精通したオンコロジストがオンコロジーの大家を自称し,実際のところは癌の一般診断能力に欠け,他の領域の癌治療に疎いという事例は普通にあります.「ジェネラル」が「スペシャル」に進化して害をなす訳ですが,この進化の過程,究極と求めることは日本人がもつ悪癖といえるでしょう.

 

 我々医師は,総合力と専門性の狭間で迷いながら苦労しています.我々の持つ良くない傾向を意識して,あまり究極に走らないスタンスを保持する努力は必要と思われます.そのような観点からいえば,呼吸器エッセンシャルドラッグの存在意義が見えて来ます.他の領域のエッセンシャルドラッグと共にあって,さらにその存在意義が生きてくるではないでしょうか.すなわち「ジェネラル」と「スペシャル」の調和を比較的手軽にものにすることが本書のシリーズによって可能になるものと信じています.

「パレートの法則」をご存じですか? (2010年12月25日)

 今年のキーワードは,ノーベル賞そして中国といったところでしょうか.

 

 ノーベル賞は子供の頃からの刷り込みなのでしょうが,極めて偉大な賞と言った感じで,これを受賞した方はまさに人生の勝利者といえます.素晴らしいことです.

 そう思う一方,その光輝く賞に対して「陰」をも意識せざるをえません.特にそれを感じたのは,ノースキャロライナのキティホークに出かけた折のことでした.世界で初めて有人動力飛行に成功したライト兄弟は,その偉業をなかなか認められず苦労をしました.飛行に成功した彼らを待ち構えていたものが,一時的といえど栄光でなかったことを知った時には,悲しい気持ちになりました.でも彼らは幸せでしょう.最終的には評価されているからです.

 しかしながら,彼らの成功の陰には多くの他の発明者の飛行失敗があったはずです.涙をのんだヒトがいかに多く存在したかを考えると,ライト兄弟の偉業も少し違って見えます.今年のノーベル受賞についても,同じ感情をちょっと抱きます.根岸先生や鈴木先生と同じようなテーマで研究をしてきたヒトは,たくさんいたはずです.一つの大成功の陰には多く評価されない業績があったはずです.

 このことは,教室での成果でもいえます.呼吸器グループのこれまでの成果は,多くの積み重ねの結果生み出されたものであり,決して一人の功績でではありません.一般診療のみに携わった先生方も,ある意味研究に参加していたといえます.このような流れが「伝統」として歴史になるのであろうと期待しています.

 

 さて中国.良くも悪くも中国.

よく言われるジョークに,ダメな教育事情として,

日本人の「英語教育」

米国人の「反戦教育」

イタリア人の「性教育」

そして中国人の「マナー教育」.

 

法律として,

日本「法律で許されないものは,全て禁止」

米国「法律で禁止されていないものは,全てOK」

そして中国「法律で禁止されていても,全て許される」

 

またこんなのもあります.

日本「違反すれば刑務所」

米国「違反すれば射殺」

中国「違反していなくても刑務所」

 

まったく中国って!

麻雀を発明した国は,果たしてモラルを確立できるでしょうか.

物まねをする時には,本物にきわめて近いものにしてもらいたいです.

平たいドラえもんにはインド人もびっくり.

 

 

 これまでマーフィーの法則,ピーターの法則,リンゲルマンの法則,ランチェスターの法則を紹介してきました.(興味ある方は例によって呼吸器HP,hamamatsu-lung.comをご覧ください)今回は,80対20の法則を考えてみたいと思います.パレートの法則です.

 

 パレートの法則とは「上位20%の売り上げが,全体の売り上げの80%を占める」というものです.この現象はあらゆる場面で適応できます.「仕事の80%は,20%のヒトの働きである」「成果の80%は,20%の時間で得られる」 われわれの生活の中でも,この重要な「20%」がたくさんあるのでは?これを意識することによって,80%を90%にすることも可能ではないでしょうか?

 

 では,集団のうち貢献している20%以外の残りのヒトは何もしていないのでしょうか.

 蟻は餌場から餌を巣に運ぶ時に,全体の20%の蟻はサボるといわれています.しかしこの20%の蟻は無駄か,というとそんなことはないようです.さぼっているうちに偶然に新しい餌に当たることもあるからです.また,さぼる20%の蟻は,20%の働き蟻の存在のためには必須とのことです.働き蟻ばかりを集めると,このうちの20%はやっぱりさぼるようになります.

 さらに,近年注目されていることにlong tailがあります.これまでの小売店では在庫の制限のため,上位20%に当たる商品を多く揃えなければならず,その他の80%は軽視されてきました.しかしながら,あまり売れない商品が恐竜の尻尾のように長く延びて,多大なる利益をもたらしているケースが注目されています.Amazon.comのように.

 われわれの領域でもやはりlong tail部分は非常に重要で,common diseasesをしっかり診ていくことが,周りの評価を高める一番の近道でしょう.Rare casesに注目し解析,報告する者が評価されることは,当グループの主旨には合致しません.この点はもう少し強調されていいでしょう.皆さんにも意識して仕事をされることを望みます.

 イチローの素晴らしいのは,単打でも続けていることです.イチローは次男であるにもかかわらず,イチローと名付けたチチローの意図はやはり素晴らしいですね.

 

 

例によってとりとめの無いことを書いて来ました.本年以降もそれぞれの立場で,皆さん頑張ってください.

記者クラブと免疫学的監視機構についての雑感 (2010年5月27日)

ここで書いてもごまめの歯ぎしりにもなりませんが,当世の新聞報道のあり方に疑問を感じるのは,私だけではないでしょう.

 

 現在の新聞ジャーナリズムは社会の木鐸としての機能を果たしていないばかりか,誤った情報を伝えることで社会的に害を振りまいてはいないでしょうか. 活字になるとつい信じてしまう人間の弱点に付け入るような,某新聞社の「反医師キャンペーン」の例をみるまでもありません.彼らにはペンでもって世の中を良くしようという気概がないのでしょうか.「割り箸事件」ではまったくの事実誤認によって医療過誤に仕立ててしまいました.新聞報道が世論の操作,それも間違った方向に導いているとしたら,なんと不幸なことでしょう.

 新聞記者は,なぜ空港整備特別会計による無駄な空港建設の問題点を明らかに出来なかったのでしょう.おそらく,お上御用達の記者クラブの発表記事では,問題点を指摘しえなく何も生まれてこないのでしょう.現在の新聞報道は大本営発表とどこが違うというのでしょう?

 彼らが独自の解析をおこなえば,JALの現状もここまでこなかったであろうし,我県で言えば富士山静岡空港の建設を阻止できたかもしれません.

 

 確かに事実を明らかにすることは難しいです.卑近な例では,勤務医と開業医の所得格差はあるのか,あるとすればどの程度か,様々な記事を見聞きしますが,自分のフィールドであるにもかかわらず,書いている本人にも正直言って明確ではありません.しかし少なくとも両サイドの実情,見方,意見を中立的に羅列することは可能ではないでしょうか.

 そもそも,何故このようなことが新聞報道で起きるのでしょうか(あるいは起きないのかと言う方が適切かもしれませんが).おそらく,ひとえに適切な情報が不足しているからでしょう.お上からの情報を無批判にそのまま報道するという「記者クラブ」のお粗末さとは無関係ではないと感じます.

 

 免疫機序の発現もやはり外的情報がいかに入ってくるかが重要です.ウイルスなどの病原体や抗原物質のほとんどが,粘膜組織から侵入してきます. とすれば,mucosa-associated lymphoid tissue (MALT) の位置付けは「記者クラブ」に相当します.

 気道であればMALTは気管支随伴リンパ組織 (Bronchus-associated lymphoid tissue : BALT) で,腸管随伴リンパ組織であるPeyer’s patch (Gut-associated lymphoid tissue : GALT) に類似してた構造であることから命名されました.

 しかしながら,BALTとGALTには決定的な違いがあり,GALTは発達の程度に差はあれ,全ての正常な哺乳動物において生直後から認識可能です.一方,ラットにおいては無菌的な状況下においてBALTが存在しているといいますが,正常なヒトでは認められないと報告されています.一方,非喫煙者において「リンパ球の集簇像」はみられたという報告があります. 何をもってBALTと定義するかは重要で,リンパ球の集簇はBronchus-associated lymphoid unit (BALU) と呼び分けることが提唱されており,BALTとBALUは基本的に同じものであるかどうかは結論がでていません.すなわちBALTへの発達 (BALT hyperplasia) はあきらかに抗原依存性ですが,BALTの起源,すなわちBALUが抗原に依存的であるかは不明です.

 MALTの機能的概念からすると,M細胞を有するlymphoepithelium (LE) の存在とhigh endothelial venule (HEV) の存在は必須です.

 なぜなら,粘膜を通しての外界からの積極的な抗原のサンプリング → BALT内での抗原特異的な抗体産生細胞 → HEVを経由して抗原特異的リンパ球のホーミング,という現象がMALTの基本的概念であるからです.残念ながらBALTの機能的役割はGALTほどにあきらかでなく,GALTの解析からの推定にとどまっています.

 ヒトのBALTの発達が抗原依存性であることは,我々の臨床的な解析から明らかです.びまん性汎細気管支炎 (Am Rev Respir Dis 1992;146:473),慢性過敏性肺炎 (Chest 1999;115:357),関節リウマチなどの膠原病肺 (Am J Respir Crit Care Med 1996;154:1903) などの慢性肺疾患で,BALTの発達をあきらかにしてきました.また抗原認識と提示に重要なdendritic cell (DC) の増多も観察しました (Am J Respir Crit Care Med 2000;162:148).これは,DCを通じて抗原の認識が行なわれるから当然の事象であります.

 さらにマウスの実験結果で,局所免疫の主体をなすIgA産生に関し,mucosal DCはnonmucosal DC (spleen DC) や肺胞マクロファージに比して,IgAへのクラススイッチに重要な役割を演じていることを報告しました (Am J Respir Cell Mol Biol 2008;38:161).吸入経路によるワクチンの開発は重要であるため,現在,肺炎球菌ワクチンの局所投与を模索中です.

 

 新聞報道にも「適切な記者クラブ」の存在,中でも入ってくる情報を的確に処理できる優秀なDCに当たる人材がいなければ,有機的な免疫機構が作動し,その結果として期待される国の保全は難しいでしょう.

(呼吸と循環,巻頭言の一部追加改変から)

「リンゲルマンの法則」に陥っていませんか?  (2010年2月11日)

 2009年は久々に日本男子が活躍した年でした.子供店長,石川遼君,松井秀喜,イチローなどなど

..................忘れてならないのは,はるな愛.

 

 

 去年のプログレスレポートでは,マーフィーの法則,ピーターの法則について述べました.(興味ある方は,昨年の同門会誌か呼吸器内科のホームページ:hamamatsu-lung.comをご覧ください)リンゲルマンの法則もピーターの法則と同様に,組織を語る上で一面の真理を教えています.

 

 social loafing (loaf:だらだら仕事をする)は,「社会的手抜き」と訳されます.これに関連して心理学者であるリンゲルマン(独)が提唱している法則があります.これは,一人でする仕事量を100とすると,二人では93,三人では85,八人では49と仕事量は減少する現象だそうです.このような現象が医局の人数の充実に伴い,出てきてはいないでしょうか? 呼吸器でいえば,かつて創設期に佐藤先生,今井先生,私,早川先生,秋山先生,源馬先生,岡野先生,谷口先生くらいしか大学に在籍していませんでした.一人一人がいくつかの任務を受け持っており,それはそれは忙しい時期でありました. 昔のことを言うとまたかと嫌われます.しかし注意を喚起するため敢えて繰り返しますが,医局員が充足していな時期にはリンゲルマンの法則が入る余地はありませんでした.人数が増えてリンゲルマンの法則が現れ,個人の貢献度が落ちてしまったら何にもなりません.人数の充実が組織の充実に直結するように,今一度考えてみませんか.

 

「ランチェスターの法則」によれば,対立する戦力の間では双方の人数の二乗の差だけ成果に差が出るとのことです.一人の戦力を1とすると,二人では2×2の効果が,三人では3×3の効果が期待できるそうです.(これはちょっと嘘くさい.でも同じ目的に向かう人数が多いと相加作用だけではなく相乗作用が引き出され頼もしいことはありそう.修飾作用?協調作用?) 市中病院の忙しさは想像を絶するものがありますので,基幹病院の先生方にリンゲルマンの法則が当てはまる余地はないでしょうが,果たして大丈夫か見直してみる価値はあるでしょう.

 

人事を考える上で,複数のヒトが働くための2つの原理はいつも考えています.一つは「ベストの9人ではなく,9人でベスト」になるよう野球チームを構成するようにしていることです.(実際はそんなにヒトはいませんから,ベストの2人ではなく2人でベスト,といったところでしょうか)そして自分がやらねば,という気持ちがあれば,組織はうまく動きます.一人の百歩よりも百人の一歩です. 二つ目は,お子さんの年齢,すなわち進級,進学に支障のない時期の移動です.前にも書きましたが,現在の赴任病院は必ずしも永久就職の場ではありません.病院によっては,臨床研究や後輩の積極的な指導を求められます.このような点で不都合がある場合には,頃合いを見てグループ内での調整がなされますが,お子さんの事情のウェートは小さくありません.

 

これからも未来の橋を渡って進んで行きましょう.橋の渡り方には個性はありますが............

 

中村教授は,綿密に橋を叩く計画を立て石橋を叩き,石橋を渡る

私は,石橋と判断したら叩かず,石橋を渡る

須田先生は,石橋についての情報を出来る限り仕入れて,石橋を叩いて渡る

乾先生は,要領よく石橋を叩きながら渡る

中村祐先生は,石橋をゆっくり渡る

橋本先生は,石橋を叩く仕事を一手に引き受けて,石橋を渡る

貝田先生は,正拳付きで石橋を叩き,堂々と渡る

小澤先生は,ちょっと怒りながら石橋を叩いて,渡る

右藤先生は,黙々と石橋を渡る

加藤先生は,知らない間に,石橋を渡り終えている

長谷川先生は,家族の了解を得てから叩いて,石橋を渡る

古橋先生は,物まねをしながら,石橋を渡る

柄山先生は,石橋の真ん中を渡る

勇三先生は,石橋をちょこちょこと叩くふりをして,渡る

河野先生は,今度は誰と渡ろうかと思いをめぐらしながら,石橋を渡る

穂積先生は,ぺぺなんて言わないでと笑いながら,石橋を渡る

安井先生は,自分が渡る石橋しか見えない

松浦先生は,合コンがあるからと皆を誘って,石橋を渡る

赤松先生は,踊りながら石橋を渡る

 

(以上,かなり無理があるので無視してください)

 

 

あなたは,誰かに石橋を叩かせて渡っていませんか?

あなたも「ピーターの法則」に陥ってませんか?

小学生の頃,夏休み明けに読書感想文を書かされました.

このほろ苦い思い出を今も心の傷として持っていると,今回のプログレスも同じように負担に感じます.

まあ1年に一度くらい心の整理には,丁度良い機会かもしれませんので,思いつくままに.

4年程前に「ピーターの法則」に触れる機会がありました.

それよりずっと以前に出会った「マーフィーの法則」に人生の無情を感じましたので,「ピーターの法則」を期待して読みました.その内容は期待通りでした.というよりあまりにも論理的で,少々耳が痛くまたウンウンと頷けると感じた次第です.

「マーフィーの法則」はあまりに有名なので,今更と言った感じですが一応確認すると,

If anything can go wrong, it will.(失敗する可能性のあるものは,失敗する)

実際の生活では「傘を忘れると,雨が降る」「傘を買うと,雨がやむ」という状況で法則を意識させられます.この発展型も有名で,「悪い状況は,放置するとさらに悪くなる」「すべての解決は新たな問題を生む」 さらなる発展型に,If anything can’t go wrong, it will.(失敗するはずがないのに,必ず失敗する) あーあ(落胆).

一方,「ピーターの法則」もご存知の方は多いと思いますが,「マーフィーの法則」ほどに知られていません.しかし,こちらの方が社会の構造を言い当てています.

この法則を簡単にまとめると,

『階層社会では,すべてのヒトが昇進を重ね,おのおの無能レベルに到達する.』

この「ピーターの法則」は,あらゆる階層階級のからくりを理解するカギとなるものだそうです.

実際の例を挙げて以下のように説明されています.

ある年,研修医として5名の医師,小泉君,安倍君,福田君,麻生君,小沢君が入局してきたとします.内科を選択するだけあっていずれもなかなか有望な連中です.しばらくして「助教」の席の空きができ,この有望な5名から一人を選ぶことになります.麻生君はちょっと独善的で,実家がお金持ちであることをひけらかすので論外として,その他のどの医師も勉強熱心で洞察力にも長けています.この中では,上司から言われた事に対して,抜かりなく確実に仕事を片付け事後報告も的確な福田君が,最も有能と言えました.そこで,福田君が他の4人をまとめる立場である「助教」に任命されました.

しかしながら福田君は確かに調整役としてはそれなりの貢献はしましたが,率先してリーダーシップを発揮することができず,やや無能の烙印を押されてしまい,以後声はかかりません.仮に福田君がこの「助教」のポジションで立派に臨床に研究に能力を発揮して,大変有能と判断され「講師」に昇進したとしても,その後講師として教育面で真価ををみせられないとか,人望に欠けるとかすれば,それ以上の昇進はありえません..........という具合に,おのおの無能レベルに達するまで昇進して,無能レベルに到達するとその場に留まる,これが「ピーターの法則」です.

結果として,「やがてあらゆるポストは,責務を果たせない無能なヒトによって占められます.」

ではこのような階層社会では誰が仕事をしているのでしょうか?それに対する答えも用意されています.

「仕事は,まだ無能レベルに達していない者によって行われている.」

この他「ピーターの法則」の中では

「無能な上司は無能な部下を昇進させる」

「無能を自覚しても問題は解決しない」

「優れたリーダーシップを持つ者は組織からはみ出す」

などの論理が展開されていますが,「ピーターの法則」の神髄は「世界には無能がはびこっている.」という当初の解析に尽きます.

われわれは,このような「ピーターの法則」の現実に直面して,今後どのように組織に接していったらよいのでしょうか?

現在の医局の衰退と「ピーターの法則」とはまったく無関係とは思えません.必ずしもすべて新研修医制度が原因ではないかもしれません.明治以来の構造的不都合が,新研修医制度によって研修医に知れてしまった,パンドラの箱が開けられてしまった,ような気がします.

このような階層社会に生きていく限り,ピーターの法則からは逃れられないとしてあきらめますか?それとも何とかこの大原則を変えようかと考えますか?

無能に到達する前に,自ら身を処することが望まれます.ひとつには,どのような状況に置かれても対応できるような能力を磨いておくことが必要でしょう.また,過去の成功体験にこだわらず,常に新しい発想を持つことも解決の一つかもしれません.しかし残念ながら最終的にはやってみないと(やらせてみないと)わからないというのが現実でしょう.この意味で,いずれの役職も5−6年の任期制として見直す機会を設けるのは,賢明な対応かもしれません.

マーフィー博士(ジョゼフ・マーフィー博士のこと.自己啓発書で有名.マーフィーの法則のマーフィーとはエドワード・アロイシャス・マーフィー Jr.であり,マーフィー博士とは無関係)の提唱する法則は,「あなたの人生はあなたの思い描いたとおりになる」です. この人生のゴールデンルールを信じて,明日からの仕事に頑張りましょう.

はじめにの「はじめに」

このホームページをご覧になっている方のほとんどは,研修医や学生の皆さんと思いますので,この方たちを意識してご挨拶を書かせて頂いています.

他の項目には,受診される患者さんに関係したお役立ち情報が書かれています.患者さんに一言だけ「医師とは職業ではなく,患者さんとの生き方である」

はじめに

高校の新聞部に属していた時に記事を書く態度として,「難しいことは簡単に.簡単なことは面白く.面白い事は奥深く.」と先輩から言われました.そこでこの挨拶文がどれに相当するか考えました.若い先生方が将来の選択を考えたり,患者さんに当院・当科の理念を納得していただくことは決して易しいことではないので,こういう考え方もあるとご理解いただき「簡単に」筆を進めます.

どこに行くかわかっていれば,道に迷うことはない

我々は呼吸器内科学を標榜して診療に当っていますが,その対象疾患,守備範囲は内科学の中でも最も広い診療科のひとつです.すなわち,感染症の分野,免疫アレルギーの分野,腫瘍を扱う分野と多岐にわたります.これらの領域での診断力を上げるためには,画像の分野も大事であります.従って,呼吸器内科を目指す医師は,広範な知識を習得する不断の努力が必要となります.また,言うまでもなく呼吸器内科医である前に「内科医であり医師」でありますから,一般内科医の知識,医師としての幅の広さが求められています.

これらの背景を我々の呼吸器内科の共通の理念としていますため,必然的に研修目標は決まってきます.卒後2年の研修後,後期研修の最初の1年間はもう一度医師として(初期研修医時代のようなお客様待遇ではなく)呼吸,循環,消化器の再履修をして頂いています.呼吸器内科医であっても,胃カメラや腹部エコーなどのルーチン消化管検査,心電図判読や心エコーに馴染みがないといけません.下部消化管検査や心臓カテーテル検査など他の領域の専門的手技にまで精通する必要はありませんが.......

このように後期研修の1年間で総合的な内科医の素養を磨き,2年目(卒後4年目)からは呼吸器内科医として研鑽をつんでもらっています.

1+1=2ではない

そもそも医局システムとは何でしょうか?これについてはその存在意義を含めていろいろ議論があるところです.最近の傾向として卒業後に自力で活躍しようとするヒト達が増えてきました.それはそれで良いと思いますが,人間には本籍地が必要です.何かあったら頼れるところを確保しておくのは,賢明な選択の一つでしょう.国籍がはっきりしないとアイデンティティを確立できません.欧米での医学界には「ギルド」の概念は厳然と存在します.

それなりの何かをするには仲間が必要であり,仲間が集まれば大きなことが出来ます.医局内には契約書なんてありません.あるのはお互いの信頼関係だけです.医局とはそんな所です.

また,臨床に打ち込んだ後には,視点を変えて研究に従事し視野を広げることが,溢れる医学情報に振り回されることを回避する対処法です.研究により育まれたリサーチ・マインドが,論文を読むときに背後にある問題点をあきらかにしてくれます.研究に眼を向ける事は臨床家として一人前になる近道といえます.

米国流に言えば,Bedside → Bench → Beer(またはBaby.家族内サービス?)ということでしょうか.永い医師としての人生の中では重要なことです.

大学院に入って博士号を取得しましょう.希望がある者は留学機会を提供できます.学会に所属して試験に通れば専門医になれますが,大学院を卒業しないと医学博士にはなれません.専門バカの医学博士ではなく,イチローのように守備範囲の広い専門家を目指しませんか?

出る杭は打たれ,出ない杭は腐る.出過ぎた杭は打たれない

当科の教育の理念としては,このような表題に示したものが当てはまるかもしれません.

先輩を差しおいてどんどん前に出過ぎると打たれます.すなわち,それなりの節度は求められます.しかし,やる気がないのは最も敬遠されるところです.いっそ出過ぎる方が良いという雰囲気でやっています.出てる杭は育てます.ヒトの個性はさまざまです.手の指は5本とも同じでないから立派に役目を果たしていることを,医局に所属して多くの先輩と接する中で理解できます.

診断は一つ,治療はいくつも

「緻密な診断能力の獲得」と「患者さんの背景と希望を考慮した治療法の的確な選択」.これらが当科が目指す医療です.最終的に目指すものは最善の医療であり医学ではありません.中日本の呼吸器診療のオピニオンリーダーと成る可く,当科の面々は日夜研鑽を積んでおります.しかしNHK的にならないように.

明日は君たちのものです.共に頑張りましょう.